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2006年9月29日 (金)

Daily K-Scale 0333

よみたいときに よめば よゐ

うっそ~…。

 この間、なにかの会話で、「日本三大逆賊」の話題が出て、誰も確かなことが言えなかったので、ちょっと調べてみた。

 まず、足利尊氏。彼は、天皇になろうとしたという理由で逆賊に見事当選したようだ。その経緯もあって、京都三大祭のひとつである「時代祭」の行列に室町時代の設定がない。逆賊の一族が治めた時代はなかったことになっているのである。しかし、実際、京都の文化は室町時代に華開いた。妙なものである。

 そして、次に明智光秀。彼は、天下統一を果たした主君・織田信長を本能寺で討った。「主殺しの逆心」「恩知らず」ということで逆賊に貶められた。いまだに「三日天下」などと揶揄され、裏切り者の烙印が押されたままである。見方によれば、暴君を討って天下を救ったヒーローだという説もなきにしもあらずなのであるが。

 あと、出口王仁三郎。あの大本教の実質上の教祖である。彼は、「大本」の教義を整備したが、その教義や活動内容が皇室の尊崇とは相容れないものであったことが逆賊扱いされた理由として挙げられる。結局、戦前に出口王仁三郎率いる「大本教」は2度の弾圧を受け、施設の破壊や信者への拷問などが行なわれた。

 逆賊といえば、他に弓削道鏡や平将門なども挙げられているのだが、上記3人に、ある共通項を見つけて「唖然」としてしまった。なんと、3人ともわがふるさと「亀岡市」に所縁を持つ人物なのである。

 足利尊氏は、最初、鎌倉幕府に仕えていたが、後醍醐天皇の綸旨を受け天皇方に寝返り、所領である丹波篠村八幡宮(京都府亀岡市)で鎌倉幕府に対する兵を挙する。今でも篠村八幡宮には、尊氏旗揚げの松なるものが遺されている。

 明智光秀は、亀山城(亀岡の旧名)から兵を率いて、本能寺へと向かった。もちろん、亀山を治めた名君として地元では愛されている。亀岡市議会では、逆賊として扱われている光秀の名誉回復が真剣な議題として取り上げられ、討論されているのだ。
http://www.city.kameoka.kyoto.jp/gikai/eturan/data/h13/06180004.htm

 そして、出口王仁三郎。「大本教」の本拠は亀岡市にある。それも、上記の明智光秀の居城だった「亀山城」の跡地に教団施設が並んでいるのである。この地を核にして、教団は成長していった。

 こういう事実を目の当たりにしていると、やはり「亀岡市って逆賊のまち」なのか…と思ってしまう。そんな風土がぼくのからだにも染みついているのかなぁ…と。

 しかし、3人とも、違う角度から見れば、歴史上大きな役割を果たした大人物である。同郷あるいは地縁者として、誇りを持ってもいいのじゃないか。幸いなことに、明智光秀の歴史的評価は近ごろ少しずつではあるが高まっているようにも聞いている。

 あ、みなさん、ぼくは裏切ったりとか逆賊みたいなことはしませんので、ご安心を。これからも、おつきあいの程、よろしくお願いします。え、大丈夫ですって、問題ないですから………

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2006年9月28日 (木)

Daily K-Scale 0332

よみたいときに よめば よゐ

保険。

 カバンは、3年ほど前からBREEを使っている。歳月を重ねるごとに革が飴色に変化するという、なんとも愛着のわくカバンである。まさに“一生もの”と呼ぶにふさわしい逸品だ。

 とても愛しいのであるが、ひとつ問題がある。とにかく重いのだ。何も入れていないのに、本体だけで2キロ近い重量がある。そこにパソコンだの本だの資料だのを詰め込むから、カバンの重さは5キロとか6キロになってしまう。

 街を行く姿は、まるで重装歩兵だ。当然、肩が凝る。腰が痛くなる。カバン職人に言わせると「BREEはカバンじゃないです。重すぎます。あれでは人のからだが壊れてしまいます」のだそうだ。

 パソコンに資料。重いものばかりだが、ぼくはついついBREEに詰め込んでしまう。これは一種の貧乏性なのだが、「いつ、なにが起こるかわからない。もし、パソコンとか資料を肌身はなさず持っていれば、どんな状況でも対応できる」という考えに基づいている。

 全然、使うことがないかもしれない。でも、万が一使うことがあるかもしれない。その時、後悔しないために、毎日、とんでもなく重い思いをして、持ち歩いているのだ。

 これを第三者的に見ると、まったく馬鹿げている。自分でもときどきそう思う。「止めてしまおう。事務所に置いて帰ろう」と思うときもあるのだが、やはりそこは小心者。ついつい、「ま、いいか」と、一度出したパソコンや資料を再びBREEに詰めてしまう。

 まさに、「保険」である。それも「掛け捨ての保険」である。もしも、のために、せっせ、せっせと辛い思いを積み上げる。毎日、毎日、手間隙を欠かさない。それがムダであろうと無意味であろうと。しかし、年に数度、持っていてよかった、というシーンに出会う。その瞬間のためにムダを承知で、360日以上を過ごす。

 あ、これって「ハレ」と「ケ」の関係に似ているな。たった5日間の「ハレ」のために、360日の「ケ」に耐える。耐えるからこそ、「ハレ」はよりいっそうの価値を持つようになる。

 重たい荷物も、愛着あるBREEに詰め込まれているからこそ、毎日、持ち運べるのかもしれない。今日も、いつやってくるかわからない「持っていてよかった」と思える場面のために、この重みを両肩で受け止めながら、歩いていく。明日に希望があふれている。だから
こそ、保険を掛けることに価値が生まれるのである。

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