Daily K-Scale 0333
よみたいときに よめば よゐ
うっそ~…。
この間、なにかの会話で、「日本三大逆賊」の話題が出て、誰も確かなことが言えなかったので、ちょっと調べてみた。
まず、足利尊氏。彼は、天皇になろうとしたという理由で逆賊に見事当選したようだ。その経緯もあって、京都三大祭のひとつである「時代祭」の行列に室町時代の設定がない。逆賊の一族が治めた時代はなかったことになっているのである。しかし、実際、京都の文化は室町時代に華開いた。妙なものである。
そして、次に明智光秀。彼は、天下統一を果たした主君・織田信長を本能寺で討った。「主殺しの逆心」「恩知らず」ということで逆賊に貶められた。いまだに「三日天下」などと揶揄され、裏切り者の烙印が押されたままである。見方によれば、暴君を討って天下を救ったヒーローだという説もなきにしもあらずなのであるが。
あと、出口王仁三郎。あの大本教の実質上の教祖である。彼は、「大本」の教義を整備したが、その教義や活動内容が皇室の尊崇とは相容れないものであったことが逆賊扱いされた理由として挙げられる。結局、戦前に出口王仁三郎率いる「大本教」は2度の弾圧を受け、施設の破壊や信者への拷問などが行なわれた。
逆賊といえば、他に弓削道鏡や平将門なども挙げられているのだが、上記3人に、ある共通項を見つけて「唖然」としてしまった。なんと、3人ともわがふるさと「亀岡市」に所縁を持つ人物なのである。
足利尊氏は、最初、鎌倉幕府に仕えていたが、後醍醐天皇の綸旨を受け天皇方に寝返り、所領である丹波篠村八幡宮(京都府亀岡市)で鎌倉幕府に対する兵を挙する。今でも篠村八幡宮には、尊氏旗揚げの松なるものが遺されている。
明智光秀は、亀山城(亀岡の旧名)から兵を率いて、本能寺へと向かった。もちろん、亀山を治めた名君として地元では愛されている。亀岡市議会では、逆賊として扱われている光秀の名誉回復が真剣な議題として取り上げられ、討論されているのだ。
http://www.city.kameoka.kyoto.jp/gikai/eturan/data/h13/06180004.htm
そして、出口王仁三郎。「大本教」の本拠は亀岡市にある。それも、上記の明智光秀の居城だった「亀山城」の跡地に教団施設が並んでいるのである。この地を核にして、教団は成長していった。
こういう事実を目の当たりにしていると、やはり「亀岡市って逆賊のまち」なのか…と思ってしまう。そんな風土がぼくのからだにも染みついているのかなぁ…と。
しかし、3人とも、違う角度から見れば、歴史上大きな役割を果たした大人物である。同郷あるいは地縁者として、誇りを持ってもいいのじゃないか。幸いなことに、明智光秀の歴史的評価は近ごろ少しずつではあるが高まっているようにも聞いている。
あ、みなさん、ぼくは裏切ったりとか逆賊みたいなことはしませんので、ご安心を。これからも、おつきあいの程、よろしくお願いします。え、大丈夫ですって、問題ないですから………
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