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2006年10月31日 (火)

Daily K-Scale 0365

よみたいときに よめば よゐ

とうとう、まだまだ。

 ついに、ここまで来ました。今日で、Daily K-Scaleが丸一年を迎えることとなりました。これも、ひとえにみなさまのご支援の賜物です。ほんとうに、ありがとうございました。

 思い起こせば、一年前。あの頃は、まだISIS編集学校の「破」のコースを履修中で、松岡校長の「千夜千冊」にも刺激を受けて、「ここは一念発起、なにかはじめよう」と、とても立派な思いと、ずば抜けて軽はずみなフットワークで、「はじめてしまいました」的にスタートさせたものでした。

 この一年、いろんな方からいろんな意見やお叱り、苦情、励まし、共感、疑問…をたくさんいただきました。配信4日目に「三日坊主ではなかったですね」というエールをいただいたのには苦笑しましたね(笑)。これも、今となっては、ほんとうにいい思い出です。

 デイリーといいながらおまとめ配信があったり、調査不足でガセネタを配信してしまったり、誤字・脱字が多かったり…と読んでいただいているみなさまには、いろいろとご迷惑をおかけしていると思いますが、これからもよろしくお願いします。

 続けることに意義がある、と信じてこの一年間は前進してまいりましたが、次なる一年間、つまり二年目は、クオリティにもこだわっていきたいと思います。もっと、「きっかけ」になる文章、もっと「つながる」ことができる文章、もっと「響く」ような文章…。人の気持ちの機微がわかるような、自然の摂理を理解するような、そんなメールにしていきたいと思います。

 目標は、やっぱり1000回。まだまだ1/3ほどです。登山で言えば7合目を過ぎたくらいのもの。これからも、登頂を続けてまいります。どうぞ、ご愛読のほどよろしくお願いいたします。また、叱咤激励もよろしくお願いいたします。

 ありがとうございました。これからもお世話になります。

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2006年10月30日 (月)

Daily K-Scale 0364

よみたいときに よめば よゐ

手当て。

 お世話になっているミュージシャンの奥さんのふくらはぎに腫瘍ができていた。以前から、腰が痛くて…ということを聞いていたが、その腫瘍のせいだったらしい。来月、手術をするということだ。

 聞くところによると良性の腫瘍らしいのでひと安心している。もっとも医者曰くは「元気のいい、イキのいい腫瘍」だそうだ。妊婦さんに対する言葉ではないのだから、これはちょっといかがなものか、とも思うが、ま、いいか。

 その話を伺っているときに、彼女の息子さんもいっしょだった。彼は、地面にひざまずいて、ずっと彼女のふくらはぎの腫瘍のある場所に手を当てた。「あ、すごく血のめぐりが速い」などと言いながら、ずっと手で患部をさわっていた。「お~い、小さくなれよ」と言いながら、ゆっくりさすったりもしていた。

 10分か15分くらい、手を当てていただろうか。彼は当てていた手を離して「これで、ちょっと小さくなったかもしれんなぁ」と笑顔で云った。その表情がなんともやわらかで、あたたかかった。

 ぼくは、そんな母子の姿を観ていて思った。「こんなスキンシップが、ごく普通に行なわれていたら、いま流行りの子殺しや親殺しなんて起きないだろうな」と。彼らは、お互いに信じあい、慈しみあって、そして、お互いのぬくもりを共有しあっている。つながっているのだと思う。そして、つながっていることをはっきりと自覚しているはずなのだ。関係において、不安はないと思う。

 ところが、事件を起すような親子関係は、どこか不安要素を持っているのではないだろうか。「お母さんは、ぼくのこと、ほんとうに好きなのだろうか」とか「この子は、わたしのことを、ほんとうに信じてくれているのだろうか」とか。どこかに不安や疑いの思いが潜んでいるように感じるのだがいかがだろう。

 奈良県田原本町で起こった高校生の長男による放火殺人事件に関して父親の手記が公開された。父親は、長男に対し「暴力をふるったパパを許してくれ」と謝罪する一方、「パパは死ぬまで、一緒になって罪を背負って生きていくつもり」と語りかけ、長男は終始泣きながら「ごめんなさい」と繰り返したという。

 もし、この父親が、事件が起こる前に、肌を通して長男とふれあっていたなら、この悲劇は起こったのだろうか?また、逆に長男がもっと真剣に父親のぬくもり、体温を求めていたらどうだったのだろう?先の母子のように、言葉を超えたつながりを築いていたら、こんな悲劇は起こらなかっただろう、と思えて、残念でならない。

 親子関係さえも「価値」や「利」で評価されてしまいがちな昨今、手を当てて祈りを捧げている息子と、その想いを目を閉じて受け止めている母親。その姿を見ることができたぼくは、なんて幸せなんだろうと思った。人と人のつながりの根本を見せていただいたからだ。このシーンをしっかりと瞼に焼きつけて、忘れないでおこう。

そして、手術の成功を心よりお祈りいたします。

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2006年10月29日 (日)

Daily K-Scale 0363

よみたいときに よめば よゐ

此の先まだまだ…。

 思へば遠くへ来たもんだ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気は今いづこ

 雲の間に月はゐて
 それな汽笛を耳にすると
 竦然として身をすくめ
 月はその時空にゐた

 それから何年経つたことか
 汽笛の湯気を茫然と
 眼で追ひかなしくなつてゐた
 あの頃の俺はいまいづこ

 今では女房子供持ち
 思へば遠くへ来たもんだ
 此の先まだまだ何時までか
 生きてゆくのであらうけど

 生きてゆくのであらうけど
 遠く経て来た日や夜の
 あんまりこんなにこひしゆては
 なんだか自信が持てないよ

 さりとて生きてゆく限り
 結局我ン張る僕の性質
 と思へばなんだか我ながら
 いたはしいよなものですよ

 考へてみればそれはまあ
 結局我ン張るのだとして
 昔恋しい時もあり そして
 どうにかやつてはゆくのでせう

 考へてみれば簡単だ
 畢竟意志の問題だ
 なんとかやるより仕方もない
 やりさえすればよいのだと

 思ふけれどもそれもそれ
 十二の冬のあの夕べ
 港の空に鳴り響いた
 汽笛の湯気や今いづこ

 『頑是ない歌』中原中也(『在りし日の歌』より)

そうだ。やりさえすればよいのだ。
その結果、とうにかやつてはゆくのでせう、なのである。
彼よりも十二年も長生きしてしまっている
自分に気がついた。

それでも、此の先まだまだ何時までか
生きてゆくのであらうけど…。

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Daily K-Scale 0362

よみたいときに よめば よゐ

長城は、超常。

 その大きさから「月から見える唯一の建造物」とも言われていたユネスコの世界遺産にも選ばれている中華人民共和国にある遺跡・万里の長城。さすがに、宇宙空間から肉眼で見ることはできないと中国科学院は否定しているが、河北省山海関から甘粛省にまで至る総延長6000Kmに及ぶ巨大さは、人類の叡智を集めた財産そのものであることに違いない。

 万里の長城の歴史を紐解くと紀元前7世紀の春秋時代(一説では紀元前3世紀の秦の時代とも)に遡る。それから17世紀の明代まで、各王朝によって造成が重ねられてきたのである。現存するものの大部分は、明代の建造で、衛星写真でもはっきりと見ることができる。まさに人類史上最大の建造物なのである。

 現在の我々が目にする長城は、秦の始皇帝の時代に、各国で作られていた城壁ををつなぎ合わせたのがはじまりで、その後、特に漢、明時代に堅固な城壁が作られた。特に、明の時代には、西は「嘉峪関」から東は「山海関」、さらには遼寧省の北朝鮮国境まで延長されたという。北京近郊では、石やレンガで重厚に作られ、敵監視台や狼煙台などが均等に分布しており、芸術性も高くなっている。

 長城の造成目的は、北方騎馬民族の進入を防ぐことであった。しかし、北方民族・契丹の「遼」、女真の「金」、モンゴル人の「元」などは、難なく長城を超えて侵入し、中国(華北)は3世紀もの間、北方民族の勢力下に置かれた。その後の明代にもモンゴル系民族は長城を超えて侵入を繰り返し、明末には満州(女真)が再び長城を超えて明を滅ぼし、「清」を成立させた。

 長城は「農耕民族と遊牧民族の境界線」と言われるが、実際は草原の中に建っている。その存在価値を考えるならば、防衛のための城としての意味よりも、国境線の主張の意味合いが強いと思われる。しかし、何度も異民族の侵入を許した歴史から、「金をかけても役に立たないもの」の代表格」(世界三大馬鹿などに数えられた)として引き合いに出されることとなる。

 現在、中国政府は重要な歴史的文化財として保護しているのだが、地元住民が家の材料にする目的で長城のレンガを持ち去り、破壊が進んでいるという。また、長城がダム工事により一部沈んだりもしているそうだ。2006年4月に行われた中国学術団体「中国長城学会」の調査によると万里の長城が有効保存されている地域は全体の2割以下で、一部現存している地域も3割であり、残り5割以上は姿を消しているとの報告がされているらしい。

 先日、ブッシュ米大統領が、メキシコとの国境の3分の1にあたる全長700マイル(約1100キロメートル)の地域に不法移民の流入を防ぐフェンスを設営する法案に署名。法案は成立した。署名式で大統領は「我々には国境を守る責任があり、その責任を真剣にとらえている」と述べたが、フェンスを建設する予算の裏付けはなく、今後の中間選挙に向け、移民の取り締まり強化を訴える共和党のための選挙対策という色合いが強い措置となった。

 この法案成立の背景には、米国の人口が3億人に到達するということがある。米国は、中南米などからの移民流入で人口が右肩上がりで増え続けている。予測では、2043年には人口は4億人に達するとみられている。人口3億人突破の主役はメキシコ国境を越える中南米系の移民と言われていて、全人口の12%は外国生まれの人々で、その約3割は不法移民とされている。

 「移民は米国人の職を奪っている」「犯罪増加など社会問題を招いている」との批判から移民規制論も台頭。その対応のひとつとして、今回のフェンス建設法案が成立したとも言われている。

 壁は、超えるために作られる。温故知新である。万里の長城が、ひととき「世界三大馬鹿」と呼ばれたように、この1100キロのフェンスが「金をかけても役に立たないもの」の代表格にならないように祈りたいものだ。そして、もうひとつ、かのアジアの大国でも、壁を超えてきたものが、統治者になるという歴史を繰り返してきた、という事実を忘れることはできない。

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2006年10月28日 (土)

Daily K-Scale 0361

よみたいときに よめば よゐ

手塩。

 いわゆる「手塩にかけて…」という表現があるけれど、最近は死語に近づいているような気がしませんか。

 まず、「育てる」という発想が消えうせようとしつつあるように感じるのです。昨今、世間を騒がせている「未履修」事件が然り。あれでは、子どもたちを「育て」ているのではなく、受験市場というマーケットに「受験生」という「商品」を「供給」しているだけ、なんて云うと、云い過ぎでしょうか。

 企業経営にしても然りです。「儲かる」すなわち「株価」が上がる「企業」を「買収」して「儲ける」ということがまかり通っています。それを、世間では「市場論理に従う」とか「適正な競争原理を働かせる」とか云っているようですが。結局のところ、その根底には、「企業を育て、人材を育て、市場を育て、成長していく」という発想はまるでない、と云ってもいいような状況だと思うのです。

 動植物も人間の都合のよいように交配を重ねて、ときには促成栽培までして、「利」を追求する。その結果、虫さえも食べたら命を縮めてしまいかねないような食物が出来上がる。確かにツヤツヤでカタチも美しく、見るからに美味そうなものが、ほんとうは怖かったりするのです。そんな野菜たちが、お店に並んでいるわけです。

 「いただきます」という言葉の根底には「かけがえのない生命をもったいなくも頂戴いたします」という感謝の気持ちが込められているという話を聴いたことがあります。ほかの生物たちの命をいただくことで、人は自分の生命力を高めることができる、という思想があったという説もあるそうです。その取り込んだ「命」を再び、自分の中で「育て」ていくことで、ますます成長していくという考えがかつてはあったようなのです。

 今、明星食品がTOBをかけられていると聞きます。仕掛けている側は、「もっと株価を引き上げることができる。株主にもっと利益を分配できる」と主張しているといいます。でも、どうなんだろうと思います。会社というものは、ある意味で「生きもの」だと思うのです。従業員ひとりひとりが、いわば細胞のようなものでしょう。そういう存在を無視して、「モノ」として企業を扱い、株価だけで価値を判断し、右から左へ受け渡して「利」を稼ぐ。これでは「育てる」という行為ではなく「ゲーム」ではないでしょうか。

 子育ても同様に「ゲーム」化しているように感じます。「ゲーム」なら、リセットしてやり直せばいいです。あるいは、間違ったことでも「削除」して、なかったことにすることもできるでしょう。でも、実際にリアルワールドにそんな機能は搭載されていません。

 ゆっくりと時間をかけて、手間隙を惜しまず、「育て」てこそ、愛情や愛着がわいてくるのです。「手塩」こそ、いま、注目されなければならないものなのではないでしょうか。とっても「手前味噌」な意見ですみませんでした。

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2006年10月27日 (金)

Daily K-Scale 0360

よみたいときに よめば よゐ

道標。

 あ、これって分かれ道かな…と思うときってありませんか。ぼくは、人との出会いの中で、そんな気分になるときがあります。先日も、そんな経験をしました。

 うちのスペースのオーナーは、月に一度くらい、ギャラリーを訪れてくださいます。近所の大阪歯科大に診療に来られる際に寄ってくださるのです。いつもは、出かけていることが多くて、なかなかゆっくりお話できないのですが、先日は、かなり長くお話しすることができました。

 もともとオーナーは、デザイナーというかアートディレクターで、その後、ギャラリー運営に携わったという、ぼくにすれば、まさにお手本というか目標のような人物です。これまで、あまり詳しく経歴に関してお伺いしたことがなかったのですが、この日はかなり詳細に聞くことができました。

 お話を聞いていて思ったのは、「多様性がキー」ということでした。オーナーは「デザイナーとしても中途半端やし、プランナーとしても同様、コンサルタントとしてもいっしょ…。器用貧乏やね」と謙遜されていましたが、この「多様性」こそが、最大の武器だったのじゃないか、と感じたのです。

 もちろん、謙遜されていましたが、第三者から見て「中途半端」ではなく、とても高精度の仕事をされていました。どれもが高品質だったからこそ「多様性」と呼べるのだと思うのです。そして、それぞれがよい影響を与え合って相乗効果を生み出す…。それほどに幅広い経験と知識があるからこそ、クライアントとも二人三脚でビジネスに当たることができるわけです。ただ、ただ、デザインだけ、あるいはコピーだけを書いて、ナンボというスケールではないのです。もっと深く、広い、フィールドで動かなくてはならないな、と思い知らされました。

 コピーライターになって18年。フリーになって、来年で10年。そろそろ、ひとつの節目かな…と思っている今日この頃。オーナーのお話は、今後のぼくにとって道標のように響いてきました。ビジネスの根本を見つめて、その根底からクライアントを支え、提案していく。そういう姿勢でないと、これからは通用しないだろうな、と。昔、誰かに教えていただいた「クリエイティブとは仕事を創ることである」という言葉を思い出しました。

 もうすぐ11月。新しい月がはじまります。ここらで心機一転、信じる道を真っ直ぐに進んで行きたいものです。その道すがら、オーナーのお言葉が、きっと間違いなく道案内をしてくれる頼れる存在となることでしょう。

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2006年10月26日 (木)

Daily K-Scale 0359

よみたいときに よめば よゐ

悪夢。

 一年に一度か二度、見る夢がある。たいてい、だんだん寒くなるぞ、という丁度いまくらいの秋の夜に見ることが多いようだ。

 夢の内容はこういうものだ。ぼくは、大学の卒業式に参加している。次々に卒業者の名前が呼び上げられて、呼ばれた者はステージの上に上っていく。そこで、卒業証書を渡されていく。実際、そんなことは、高校の卒業式なのだが、なぜか、混同されている。でも、ぼくはなんの違和感もなく参加しているのだ。もうすぐ、ぼくが呼ばれる…という緊張感からドキドキしながら、その瞬間を待っているのである。

 しかし、しかし、である。点呼は、ぼくを通り過ぎて次の人に移るのだ。「え!」思わず周りを見回すが、誰も「おかしい」とは感じていないようなのだ。「さもありなん」という顔でステージを見つめている。

 そこで、ぼくは、急に不安に襲われる。「もしかして、単位が足りなくて卒業できないんだろうか」と。でも、卒業式への招待状はもらっていたし、履修科目が足りないという通知ももらっていない。名前が呼ばれないのは、なぜなんだろう。なにかの間違い、それとも…。どうしよう、教務課に尋ねてみるべきか…。

 そう悩んでいるうちに目が覚めるのである。からだ中、汗びっしょりである。もしかしたら、うなり声をあげているかもしれない。なぜ、こんな夢を見るのか、を考えてみたことがあった。想像するに、こんなところだろう。ぼくは大学4年間を、あまり勉強したという実感なく過ごした。最低限の単位数をギリギリの成績でなんとかクリアして、最終学年では、ハラハラドキドキしながらの履修となった。でも、学習した実感はあまり得られなかった。

 結局は、自分の手で卒業した感覚が稀薄なのだ。もちろん、卒論だって書いた。原稿用紙100枚以上のボリュームだった。それだけ書いても、やはり実感が薄い。ぼくの心の奥底で、「なぜ、ぼくが卒業できるのか」という疑問が渦巻いているに違いないのだ。きっと、どこかで、「卒業に関するトラウマ」が生まれたのだろう。それが、なになのか、まだ、ぼくにはわかっていない。

 富山県で、地理歴史の履修科目不足で、その学年全体が卒業できないかもしれない、というタイヘンな事態が発生している。受験に専念するために、本来なら「地理」「世界史」「日本史」の中から2科目が必修となっているのに1科目に絞って教えていたという。

 この事態を受けて文部科学省が調査したら、出てくるは、出てくるは、で、岩手県の30校を筆頭に全国11県で計66校の未履修が見つかった。中には、指導要領違反のケースも見つかっているという。

 卒業できない…。寝耳に水のような未来のある高校生に悪夢を見せてはならない。悪夢こそ、目覚めたときには、消えてなくなるべきなのである。学校や教育者はしっかりしてほしいものだ。

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2006年10月24日 (火)

Daily K-Scale 0358

よみたいときに よめば よゐ

「サハリン2」凍結か。

 ロシアのサハリン州沖で、国際石油資本のロイヤル・ダッチ・シェルと日本の三井物産、三菱商事の三社が出資するサハリンエナジーが事業主体となって開発に取り組んできた石油・天然ガス開発計画「サハリン2」に対して、ロシア政府は、環境保全を理由にして実質的な事業中止を命令した。

 ロシア政府は、同じくサハリン沖で、米石油大手エクソンモービルや伊藤忠商事、丸紅などが進める石油開発計画「サハリン1」にも計画取り消しの可能性をほのめかしているという。

 いずれの計画もエリツィン前政権時代に結ばれた生産分与協定に基づいていて、収益配分で外資を優先するというロシアに不利な内容である。そこで、「ロシアの資源支配強化が目的で、環境問題は口実にすぎない」と批判する見方が多数を占めているようだ。

 確かに、利益というものを視点にすると、そんな見方になるだろう。プーチン大統領も「ロシアにちっとも利益が還元されていない」とおかんむりである。そんな報道が流れると利益の確保合戦で、このような事態になっていると思う人も多いだろう。

 しかし、「サハリン2」は、世界各国の専門家から「建設作業は法律に違反した状態で行なわれている」と指摘されていた。環境保護団体のFoE(地球の友)ジャパンの調査によると、冬場には北海道に越冬に来る天然記念物のオオワシの繁殖地が「サハリン2」のパイプライン建設によって既に一部失われたという。パイプラインは1000本を超える河川を横断して建設されているが、認可された工法を無視して工事が行なわれたために大量の土砂が河川に流入し、サケなどが産卵する河川に多大な影響を与えているらしい。また、
絶滅の危機に瀕しているニシコククジラが船の航行で悪影響を受けたり、事故による油流出の危険も高まっているという。

 確かに、エネルギー問題は大切なことには違いない。中東も政治的に不安定である。安定したエネルギーを確保したいのもわからないではない。でも、超長期ビジョンにたって考えてみたい。ぼくらは70年代の高度成長期に、利益追求の果てになにをみたのか。ぼくは、まだ小学生だったが、水俣でなにが起こったか、富山でどんな病気が蔓延したか、四日市の大気がどうなったか、などを社会の授業で知らされた。利益だけを追求していたらどうなるのか、を思い知らされた世代なのだ。

 個人的には、このまま「サハリン2」が凍結されることを望む。人間の歴史は、自然を管理し切ろうという目的に向かって進むことだという人もいる。いかに自然を人類の配下にするかが、目標だという見解だ。でも、ぼくは反対したい。人間は所詮自然の一部だ。自然に属しているのだ。シマウマが決してライオンを食べないように、人は決して地球より上に立つことはできないだろう。自然の摂理には従うほかないのだ。

 このまま傲慢な態度を続けていると、必ず自然から大きなしっぺ返し食らうことになるだろう。上を向いて唾を吐けば、必ず自分に降りかかることになる。「サハリン2」が、自然に唾することにならないといいのだが…。なんとも人間のすることは不安がつきまとうものである。

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Daily K-Scale 0357

よみたいときに よめば よゐ

ぼくばっかりが…。

 弱気になっているときや怒っているとき、自分の気持ちをもうひとりの自分になって尋ねてみたら、たいてい「なんでぼくばっかりがこんな目に会うんだ」と思っているものです。

 でも、でもですよ。そんなときこそ、深呼吸をして、もう一度まわりを眺めてみると、みんなきっとぼくと同じような境遇で生きていることが見えてくるのも確かなことです。

 先日、三輪明広さんの番組で「恋は奪うもの、愛は与えるもの」とか「恋は自分本位、愛は他人本位」とも云っていました。確かにぼくら(ぼくらとしたら失礼でしょうか)は、ついつい自分を中心に世界を見がちになっているようですね。「誰もが自分と同じ」と考えたら、これまで見えなかったいろんなことが見えてきそうです。

 いいことも悪いことも「ぼくだけが」と思わないこと。他人本位で発想してみること。ぼくは、これから、そんなスタンスで生きたいと思うのです。「ぼくだけではなく、みんなタイヘンなんだ」とか「このうれしさを、あの人にも…」っていう考えを基に生きていれば、いつだってハッピーになれるんじゃないだろうか。そして、自分以外の人にもハッピーになってもらえるんじゃないだろうか。

 他人の気持ちになって…なんて、大げさでなくてもいいと思うんです。とにかく「自分も他の人も同じ」というスタンスでいいのではないかと。気張らず、思い込みし過ぎず、おおらかに。そんな快活な気分でいけばいいんじゃないかな、と思います。

 とにかく、ベースは「ポジティブシンキング」。ゆったり大きな気持ちで、包むように生きていければなぁ、と思う後厄の秋です。

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Daily K-Scale 0356

よみたいときに よめば よゐ

かれいどすこーぷ。

 先日、うちのギャラリーで万華鏡のワークショップを開催しました。本格的なオイルタイプの万華鏡づくりでした。通常のパッパッパと画像が変わる万華鏡ではなく、ゆっくりと画像が変わるタイプです。その変化の様は、幻想的で、見るうちにそれこそ覚醒してしまいます。そんなイリュージョンを自らの手でつくったのです。

 万華鏡=カレイドスコープ(Kaleidoscope)は、1813年にスコットランドの物理学者デヴィッド・ブリュースター卿によって発明されました。彼は、「色の三原色を赤・青・黄」を定義したり、重要な光学の基礎理論となっている偏光に関する「ブリュースターの法則」を発見するなど物理学や光学の分野で優れた功績を残しました。また、アイザック・ニュートンの伝記の執筆も彼の重要な業績のひとつだと云われています。

 そんなブリュースターが、ある日、鏡を使って光学の実験をしていて、すばらしい発見をしました。組み合わせた複数の鏡を筒に入れて、その先端にさまざまなオブジェクトを入れたものを取りつけると、これまでに見たことのない不思議な映像が現れたのです。

 彼は、それにKalos(美しい)、Eidos(形)、Scopio(見ること)という3つのギリシャ語を組み合わせた造語Kaleidoscope(カレイドスコープ)という名を与えました。カレイドスコープは、発表されるやいなや大ヒット。「偉大なる哲学的な玩具」としてロンドンやパリなどで評判となり、瞬く間に全世界に広がっていきました。

 ところで、カレイドスコープはいつ日本にやってきたのでしょう。1819年の大阪の年代記『摂陽奇観』によると「紅毛渡り更紗眼鏡流行、大阪にて贋者多く製す」と言う記述があります。それを信じる限りでは発表後たったの3年でカレイドスコープは日本にやってきたことになります。そして、明治時代に入り「百色眼鏡」と呼ばれていたものが、改良され「万華鏡(ばんかきょう)」「錦眼鏡」として流行し、その後、誰もが知っているお土産品や子どもの玩具として定着したようです。

 現在、中心地となっているアメリカでは、1960年代から70年代にかけて、カレイドスコープを、人の心に癒しやインスピレーションをもたらすものと再認識する動きがはじまりブームとなりました。その結果、多様化され洗練され、カレイドスコープは大人のためのファンタジック・アートツールとしての地位を築いたのです。

 と、ざっと万華鏡の歴史を手繰ってみたのですが、そんな薀蓄を超えて、この単純な構造の筒がぼくらに見せてくれる映像は、まさに「偉大なる哲学的な世界」です。いつまで見ていても飽きない。トリップしてしまう「美」を持っています。

 ということで、みなさんもぜひ「万華鏡」ファンになって見ませんか。次のワークショップは11月11日(土)の予定です。気になる方はメールくださいね。

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2006年10月23日 (月)

Daily K-Scale 0355

よみたいときに よめば よゐ

骨を換える。

 かんこつだったい【換骨奪胎】古人の作った詩文について、あるいはその発想法を借用し、あるいはその表現をうまく踏襲して、自分独特の新しい詩文を作る△技法(こと)。〔俗に、焼直しの意に誤用される〕―新明解国語辞典第六版

 10年ほど前のことだったと思う。タモリが司会する番組のゲストに井上陽水が出ていた。タモリは、陽水に「作曲のコツ」を訊ねたのだが、それに応えて陽水は『枯葉』を弾き語りしはじめた。続いて、歌なしでコードを弾き、その後同じコード進行で『いっそセレナーデ』を歌いはじめた。

 そのときタモリの表情が変わった。「!」という顔つきだった。テレビの前にいたぼくも「!」だった。陽水は、語ることなく歌って、作曲の極意をみんなに伝えてくれたのだ。まさに【換骨奪胎】のお手本ご披露プログラムであった。

 図らずも新明解国語辞典に書かれているように、【換骨奪胎】が「焼直し」に解釈されていることが実に多いように思う。喩えていえば、中身を確かめもせずに外側のパッケージだけを替えたような、そんなリニューアルが幅を利かせているように感じられるのだ。

 先の『枯葉』と『いっそセレナーデ』の場合で考えてみると、陽水は「コード進行」という骨格を使って、メロディーを着替えさせた。名曲を基に名曲を生み出したのである。これは決して「焼直し」ではない。一度名曲を自分の中に取り込み、咀嚼し、消化し、吸収して、自分のものとし、改めて外に取り出したのである。

 先日まで、編集学校の「破」コースでは、「物語編集術」というカリキュラムを行なっていた。ある映画作品を換骨奪胎するという稽古なのだが、まさに陽水が『枯葉』のコード進行を抽出したように、物語の「母型」というものを取り出して、自分なりの新しい物語をつくるのである。

 焼直しと換骨奪胎の境界線は、あまり明確ではないかもしれない。踏襲しすぎると同じようになってしまって盗作まがいになる可能性もある。離れすぎると、まったく原作の「匂い」が消えてしまって換骨奪胎でなくなる可能性もある。微妙なバランス感覚の上で成り立っているのだ。

 漫画家の松本零士氏がシンガー・ソングライター槙原敬之の槙原敬之氏を訴えた。槙原氏が人気デュオケミストリーのために提供した「約束の場所」の歌詞が「銀河鉄道999」のセリフを無断使用したと主張しているのである。レコード会社による和解案も座礁し、状況はドロ沼化&長期化の様相を呈している。

 たまたま似ていたのか、焼直しなのか、換骨奪胎なのか、それともただの盗作なのか。いずれにしても「うまく踏襲」してこそ、独自の表現となることだけは、確かな真実だろう。

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2006年10月22日 (日)

Daily K-Scale 0354

よみたいときに よめば よゐ

小さなことから…。

 オゾンホールの大きさが、過去最大だった2000年のレベルに並んでいるという。アメリカ航空宇宙局(NASA)とアメリカ海洋大気局(NOAA)が、南半球にぽっかりと穴のあいた画像とともに発表した。穴の面積は、南極大陸の2倍以上の約1952平方キロメートルに達しているらしい。穴があいているというよりも、オゾン層が地球を包めなくなっている、という表現の方が当たっているのかもしれない。それほどホールが広がっているようなのだ。

 NASAによると、この巨大化の原因のひとつは、成層圏の温度が低くなったことにあるという。もちろん、最も大きな原因のひとつはフロン排出によるオゾン層破壊にあるのだけれど、気温の低下により穴が広がる性質があるという。

 世界中、温暖化問題ですったもんだしている今日この頃である。そんなときに、成層圏では気温が下がっていたとは…。温暖化への防御になるような気もするが、南極には有害な紫外線が降り注いでいるはずである。手放しには喜べない。

 今では、そんなことはほとんどないと思うが、昔のお風呂は、よくかき混ぜないと、上層部は熱く、底の方は水のまま…ということがよくあった。上の方だけで温度をみると熱いので、水を入れて冷ましながら、全体をかき混ぜると、ほとんど水になってしまう、なんていう失態を何度も経験したことがある。

 今の地球は、そんな昔のお風呂のような状態なのかもしれない。地表に近いところは温暖で、その上に冷たい成層圏が乗かっている。これをうまくかき混ぜることができると、とてもいい環境になるのだろうか。ま、地球の場合、追い焚きや打ち水をするわけにはいか
ないから、単純にはいかないのだけれど。

 いずれにしても、オゾンホールの巨大化は、ぼくらに何かのメッセージを伝えようとしているに違いない。世界気象機関の試算ではフロンの規制によってオゾン層は回復傾向にあるそうなのだが、元通りになるには2065年頃までかかると予測されている。まだまだ先の話だ。それまで、せめて、なるべくクルマは使わない、とか、ガスを使う機会を減らすとか、自分なりに努力したいと思う。

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2006年10月21日 (土)

Daily K-Scale 0353

よみたいときに よめば よゐ

ジンクス。

 よ~く考えてみたら、独立して以来、3年に1度、引っ越しをしていた。ずっと大坂城にほど近い、天満という歴史のある町の中で動いてきたわけではあるが…。

 最初は、新築のワンルームマンションだった。日光が全然入ってこない部屋だったので、一日中ライトが欠かせなかった。新築だったので、とてもキレイで心地よかった。1階にある喫茶店のご夫婦やバイトの子とも仲良かった。ただ、狭いのと家賃が高いのが玉に瑕だった。広くて明るいところに憧れて3年目に出た。

 次は、200mほど南に行った築20年のマンションだった。間取りは1LDK。古くて西向きで、夕暮れ時はまぶしくて仕方がなかったが、明るくて広くて、居心地はよかった。押入も大きく、たっぷり収納できて、とても助かったのを憶えている。ベランダは、鳩の巣になっていたっけ。なかなか愛着が深かったのだが、書籍が増えてきて、知人から「床が抜けるぞ」と脅されて、引っ越す決心をした。この部屋に来て3年目だった。

 「いいところがないかな…」と物色しているところに、いい物件が見つかった。それが、今のギャラリーである。こちらも築20年程だけれど、前のマンションと美観が違う。仕上げがいいのだろうか。とにかく、その1階にギャラリーがある。23坪ほどのスペースである。なにより、1階なので、どんなに大量の書籍を持ち込もうが、絶対に床が抜けることはない。それが、何よりもうれしい。

 そのギャラリーでの日々も3年目を超えた。これまでのジンクスを破ることになった。でも、気分的に、ちょっと落ち着かないので、オフィススペースを大改装というか大胆にレイアウト変更してみることにした。デスクの配置を90度回転させた。古いデザイン系の洋書を大量に処分しようと考えている。そして、単純に並べていた書籍を編集的な配置に並べなおそうとしている。

 これだけで、擬似引っ越し感覚が味わえている。新鮮な気分が心の奥底から沸き上がってくる。そうしてポジティブな思考ができるようになって、前向きな態度が取れるようになる。気分とは、侮れないものである、ということを実感している次第である。

 しばらくは、レイアウト替えに時間を取られることになるだろう。これもひとつの編集である。ジャマくさがらずに、楽しみながら進めていこうと思う。ジンクスをちょっとだけ意識して、守り続けるためにも…。

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2006年10月20日 (金)

Daily K-Scale 0352

よみたいときに よめば よゐ

ぼくはどこにいる?

 若いころは、よく広告の公募コンペに参加したもんだった。有名な「宣伝会議賞」をはじめ、ボディコピーも重視する「テクノコピー賞」とか、いろんな局の「ラジオCM」とか…である。

 当時、まわりの人たちからは「なぜ、そんな公募コンペに参加するの?」と聞かれたものだった。仕事をしている上で、まだ、コピーを書く、しかもお金になるかどうかわからないことに情熱を注ぐなんてバカげている、とみなさんおっしゃるわけである。

 そんなとき、ぼくは、こう答えた。「自分のポジションを確かめたいから。いま、ぼくは、どこにいるのか、知りたいから」と。

 優劣ばかりがすべてではないと思う。何等賞かは、ひとつの指標であって、目的ではないとわかっている。でも、日々の仕事を黙々とこなしている限りは、自分がこの世界のどの辺で、どんなことをしているのか、ときどきわからなくなるときがあるのだ。

 そんなとき、公募コンペに参加すると、だいたい「あ、この辺には、いてるんだ」ということがわかる。1次審査までしか行けなかったとか、最終審査まで行ったとか、賞を取れたとかで、自分のポジションを確かめるわけである。

 人によっては、これらの賞を足がかりに一流の仲間入りをしたりもしている。同期で入賞した人が、数年後にTCC(東京コピーライターズクラブ)の新人賞を獲ったりしている。ぼくは、もしかしたら、もったいないことをしたのかもしれない(決して後悔はしてません)。でも、ポジションがわかるだけでよかったのだ。ぼくは、確かにコピーライターとしてここに存在している、という実感がほしかったのだろう。

 齢を重ねるにつれて、そんなポジションのことが気にならなくなってきた。自分を見つめる視点が増えてきたのも、その原因のひとつだと思う。コピーライティングにはこだわりがあるけれど、言葉を紡ぐ職業は、コピーライターだけじゃない、という、いわば「幅」みたいなものは持てるようになったと思う。

 そんな状況ではあるが、今年は、宣伝会議賞に応募してみようと思っている。今さらながら、自分の実力がどのくらいあるのか、今にどれくらいついてイケてるのか。それを、今一度、確かめてみたいと思う。さて、さて、どうなることやら…。楽しみである。

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Daily K-Scale 0351

よみたいときに よめば よゐ

家族って。

 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。―三好達治は「郷愁」でこう詠った。

 確かに、人は誰もが「母」から生れてくる。「母」なくしては、今の自分はないわけだ。それが、男であっても、女であっても。しかし、そこでちょっと思うのだが、「母性」とはなんだろう。

 ぼくは男である。子どもを産むことはできない。これは男性すべてに当てはまると思うのだが、いわゆる「ハラを痛めて産んだ」という感覚がない。つまりは、子どもと自分の血がつながっているという感覚が、やはり母親よりも稀薄なのである。

 もちろん、「こいつは自分の子だろうか?」という疑いを持っているということではない。ただ、100%の自信は持てない。だって、それは「ハラを痛めていない」から。実感がないのだ。

 そんなごくごく少量の不安は、子どもを育てている過程でなくなってしまう。どんどん感情移入していって、それこそ目の中に入れても痛くないほどになってくる。ハラを痛めたほどなのに、目の中に入れても痛くなくなってしまうのだ。愛情は感覚を超えるのかもしれない。それほど深いものなのだろう。

 近ごろ、代理出産の話題が続いている。女性タレントは、代理母が産んでくれた双子を自治体が認知してくれないと訴訟を起していた。先天的に子宮が機能しないある女性は、自分の母を代理母にして(ややこしいが、早い話が、おばあちゃんが孫を出産したわけで
ある)、子どもを産んでもらった。こちらは、まずおばあちゃんの子どもとして届け、後に母の子として養子縁組するというウルトラCともいえる法律処理で成功したらしい。

 これらの動きにはいろんな意見が出されている。「産みたくても産めない人をなんとかしてあげて」から「女性は子どもを産むための道具じゃない」とか、心情や倫理をからめて意見が飛び交っている。

 ぼくは思う。どこの誰だろうと、目の前にぼくのことを「お父ちゃん」と呼ぶ者がいたら、子どもだと思いたい。愛情を注いでやりたいと思う。たとえ、それが、血のつながりがない相手でも、だ。ハラを痛めなくても、愛情を注ぐことはできるはずだ。ぼくの理想の親子関係は、妖怪人間のべムとべラとベロである。彼らのような家族を築きたい、と思っているのだが、いかがなものだろう。

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2006年10月17日 (火)

Daily K-Scale 0350

よみたいときに よめば よゐ

人ってなんだろ。

 「私のことがきらいでしたか きもちわるかったですか 悲しくて苦しくてたえられませんでした」。そう遺書に書き残して、北海道・滝川市の小学6年生の少女は、昨年9月に教室で首を吊り、意識不明のまま、今年1月に入院先で他界した。彼女は、たった12年の生涯に自ら幕を降ろした。学校は、発見した際にまだ息があった、ということで、最初は「自殺」ではなく「事故」扱いにしていたという。しかも「遺書」を「手紙」と呼んでいたそうだ。

 一方、福岡県・筑前町では、「遺言 お金はすべて学校に寄付します。うざい奴等はとりつきます。さよならいじめが原因です。いたって本気です。さようなら」と級友のスケッチブックに書き遺して中学校2年の男子生徒が自宅の倉庫で首吊り自殺をした。学校側は、男子生徒の1年時の担任教諭で、現在2年の学年主任(47)が、男子生徒に対するいじめ発言を繰り返し、それが発端になって生徒たちによるいじめが広がったことを認める一方、教諭の発言と自殺との直接の因果関係については「認められないと思う」と述べた。

 なぜか、最近、いじめ問題が頻繁に起こっている。しかも、学校というか教師がいじめの片棒を担いでいる例が多いのだ。これは、いったいどういうことか。

 過去の事件を思い出してみると、1986年に首つり自殺した中2少年の事件では、彼が自殺する2か月前、クラスメートが行った「葬式ごっこ」に、担任教師までが少年の「死」を喜ぶ色紙に言葉を寄せていた。また、米山豪憲君を殺害した疑いで逮捕された畠山鈴香被告は、卒業文集にクラスメートから「会ったら殺す」「秋田の土は二度とふむんじゃねえぞ」「戦争に早く行け」などと書かれていた。この文集を担任をはじめ学校関係者はどうチェックしていたのだろうか。

 教師とは「師」のつく職業である。昔は、「師」がつくのは「先生」であり、「人格者」であり、「尊敬」される存在だったはずだ。少なくとも、間違ったことは間違いだ、と言える人だったと思う。

 それが、いつしか、生徒におもねる存在になりつつあるのではないだろうか。確かに、親の姿勢も悪い。頭から「教師ってやつは…」なんて態度で先生に接している。どっちもどっちなのだ。

 そう考えると、親対教師というイガミ合いの犠牲になっているのが、現代の子どもたちなのかもしれない。実際、親として学校に行くと愕然とするのは、責任論ばかりが飛び交っているという事実である。「どちらが悪いか」をひたすら擦り付け合っているのだ。

 誰が悪いかではなく、このどうしようもない状況をどう脱するか、そこから考えられないものか。今や、世情は「強いものが正しい」という方向に流されようとしているかに見える。このままでは、弱い者が悪い、という風潮さえ生れかねない。

 今、自分になにができるのか。なにをしなければならないのか。自覚を持って前に進んでいきたいものだ。それには、人の存在価値というものをからだで理解しなければならないだろう。とても難しい問題であるが、親子でじっくり考えていきたいと思っている。

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2006年10月16日 (月)

Daily K-Scale 0349

よみたいときに よめば よゐ

ニオイでみて。

 もう15年くらい前の話だ。当時、勤めていた会社で、京都出身者は、ぼく一人だった(と、云っても大阪の会社だったのだが)。

 同僚の神戸出身者と話しているときだった。手の匂いが気になる、ということを話題にしていたと思う。「そんなん、自分の手をにおいでみたらわかるやん」と、ぼくは気軽に云ったのだが、そう発言したとたん、同僚の顔は真っ赤になりはじめ、ついには腹をかかえて笑い出した。もう、それは呼吸困難に陥るんじゃないか、と云うくらい、涙をこぼしながら身をよじって、のたうち回って笑っていた。まさに、笑い転げるという表現がピッタリの様だったのだ。

 なにがそんなに可笑しかったかというと「におぐ」という言葉がはじめて聞く言葉で、意味さえもわからなかったのだけれど、すごく響きがヘンで笑わずにはいられなかったというのだ。

 「におぐ」。これは、どうも、標準語では「嗅ぐ」と云うらしいのだ。ぼくは、物心ついた折から、ずっと、この言葉を使ってきた。モノに鼻を近づけて、その匂いを嗅ぐことを、ずっと「におぐ」と云ってきたのだ。うちの親も、その親であるおじいちゃん、おばあちゃんもそう云っていた。

 そんな常識が、神戸人の大爆笑で崩壊した。ガラガラと音を立てて崩れ落ちたのだ。同時にぼくの自尊心も壊れてなくなってしまった。とにかくはずかしかったのだ。「におぐ」。たしかに改めて口にすると、なんともヘンテコリンな響きを持つ。

 あれから15年。ぼくの手元には、今、『京ことば辞典』がある。帯には、“優雅で美しい「京ことば」を集大成”となる。その辞典の190ページを開いてみる。そこには「ニオウ」という項目がある。説明はこうだ。《動五》かぐ。「これニオウと、エーにおいするェ」。「きのうタイタン(炊いたん)ヤケド、イタ(傷)ンデヘンヤロカ。ちょっとニオイでみて」。ニオグとも。とある。

 そう、ぼくは15年前に大爆笑された言葉は、雅な京ことばとして掲載されているのである。あのとき、もう少し勇気があれば…。あるいは、もう少し京ことばへの知識があれば…。ぼくは、爆笑されずにいたのかもしれない。でも、それができなかった。と、いうのも、ぼくは「京都市内」ではなく「京都府」出身者だからだ。どこかに気後れがあったのだ。それは、やはり今でも、ある。

 「京都」―いわゆるひとつのブランド・シティは、なんとも不思議にぼくの心にからんでいる。誇りでもあり、劣等感も伴う。なんだか、つかみ所のない気分にさせられるのだ。仕事の拠点を大阪にしているのは、そんなところに原因があるのかもしれない。無意識に恐怖心が浮かんでくるのだ。

 でも、最近、京都がすごく気になる。いや、京都じゃないといけないような意識がある。これから先の人生、真剣に「京都」をニオイだろう、と考えている。さてさて、どんなニオイがするものか。

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2006年10月15日 (日)

Daily K-Scale 0348

よみたいときに よめば よゐ

刊行の辞。

 いわゆる文庫本の巻末には、出版社によるが、「刊行の辞」なるものが掲載されているものがある。読まれたことはあるだろうか。

 それぞれ出版社の意向や時代背景があって面白いのである。例えば、昭和二年七月と記された岩波文庫にはこんな記述がある。

 今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。

 昭和二年といえば、1927年。リンドバーグが大西洋無着陸横断飛行に成功し、「翼よ、あれがパリの灯だ」との名言を残した。また、日本軍が山東に出兵、中国では毛沢東が登場している。芥川龍之介が自殺し、嵐寛寿郎の「鞍馬天狗シリーズ」がはじまったのもこの年である。なるほど、こう見ていくと、特権階級なる言葉が登場しているのも時代なんだと合点がいく。まさに岩波文庫の登場は、文化的な革命だったのある。

 一方、一九四九年五月三日と記されているのは、角川文庫である。こちらは、戦後4年ほど経って書かれたものだ。そこにはこうある。

 第二次世界大戦の敗北は、軍事力の敗北であった以上に、私たちの若い文化力の敗退であった。私たちの文化が戦争に対して如何に無力であり、単なるあだ花に過ぎなかったかを、私たちは身を以て体験し痛感した。(中略)近代文化の伝統を確立し、自由な批判と柔軟な良識に富む文化層として自らを形成することに私たちは失敗してきた。

 こういう反省の下に角川文庫は誕生したのである。でもここに書かれている「若い文化の敗退」とは、誰に対しての敗退を言っているのだろう。「軍事力」に屈してしまった「文化力」なのだろうか。それとも「日本の文化力」が「アメリカの文化力」に負けたということなのだろうか。一九四九年は昭和24年。団塊の世代が生まれた年である。中華人民共和国が成立し、下川・松川・三鷹事件が起こり、三島由紀夫ブームに沸き、青い山脈や銀座カンカン娘がヒットした。少しずつ戦後の混乱が収まろうとしていた時代である。

 きっと世間には「あの戦争ってなんだったんだろう」といろいろ反省する心のゆとりも生れてきていたのだろう。そのような真面目な、でもまだ堅い感情が伝わる刊行の辞である。

 さらに時代が下がって一九七一年七月の記となっているのが、講談社文庫である。こちらには、こういう記述が見られる。

 二十一世紀の到来を目睫に望みながら、われわれはいま、人類史上かつて例を見ない巨大な転換期をむかえようとしている。(中略)激動の転換期はまた断絶の時代である。われわれは戦後二十五年間の出版文化のありかたへの深い反省をこめて、この断絶の時代にあえて人間的な持続を求めようとする。いたずらに浮薄な商業主義のあだ花を追い求めることなく、長期にわたって良書に生命をあたえようとつとめるところにしか、今後の出版文化の真の繁栄はあり得ないと信じるからである。

 一九七一年とは昭和46年。大阪万国博覧会の翌年で、ドルショックが勃発し、スミソニアン協定が締結された年。大久保清の連続殺人事件発生、テレビでは仮面ライダーが大活躍していた。世間は高度成長のど真ん中。なにかと物質面が云々されるという時代背景があったからこそ、「人間的な持続を求めよう」なんて文章が挿入されているのだろう。

 と、ざっと3つの出版社の「刊行の辞」を眺めるだけでも、いろんな歴史が見えてくる。当時の「文化」に対する民衆の意識であるとか、政治的なカラーとかが、そこはかとなく漂ってくる。

 ときどきは、こういう遊びを楽しむゆとりを持ちたいものである。

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2006年10月14日 (土)

Daily K-Scale 0347

よみたいときに よめば よゐ

日本が好きです。

 和魂洋才なんていう言葉があるが、これは、本格的に西欧化が進められた明治維新後に生まれた言葉だという。それまでは、「和魂漢才」といって、中国がお手本にされていたのである。

 近ごろの世情を見ていると、どちらかと云えば「洋魂和才」あるいは「洋魂洋才」のようにも思えてくる。ほとんどの事柄のベースが西欧化されてしまっているようだ。食事はテーブル、箸を使わずナイフとフォーク、服はもちろん洋服で、風呂場といわずにバスルーム。まだこの段階なら「洋才」とも言えるが、最近では、子どもを英語で育てる親が増えているそうだ。

 言語とは文化そのものである。日本人のアイデンティティーは、日本語で思考し、交流しているからこそ保たれているのではないのだろうか。考えてみてほしい。かつての植民地政策がまずはじめにすること。それは母国語の放棄だったはずだ。多くの被支配者たちが母国語の使用を禁じられた。そして異文化化されて服従の徒に変えられたのだ。

 いま、日本人の母親の一部が、同じようなことを子どもたちに施そうとしている。彼女たちは云う「だって、英語で考えられれば国際人になれるでしょ」と。ちょっと待ってほしい、と思う。真の国際人は、異なる文化を理解しあい、交換しあい、交流していく人のことを云うのではないだろうか。ただ、英語でものを考えたとしても、自国の文化がわからないようでは、国際人にはなれないだろう。

 美しい日本語を知る前から、英語を身につけることって重要なのだろうか。言語は、その地理的条件や気候などの風土的なことや歴史や諸外国とのかかわりあいの中で、育てられ、磨き上げられてきたはずである。本来持っている言語こそが、そこに住む人にとって、もっとも適した言語であるのは明白だ。

 ヘンにグローバル化が進んで、その土着感とかが薄れてはいないだろうか。海外のことを知ることも必要だけれど、まだまだ日本のことで知らないことが多すぎるのじゃないだろうか。ぼくはもっともっと日本のことを知りたいと思う。

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2006年10月12日 (木)

Daily K-Scale 0346

よみたいときに よめば よゐ

天才という忘れもの。

 「西洋人は自然を征服しようとしているが、従来の日本人は自然に同化し、順応しようとしてきたとも云われなくはない」これは、寺田寅彦の言葉である。彼は、こうも云っている。「西洋人は自然というものを道具か品物かのように心得ているのに対して、日本人は自然を自分に親しい兄弟か或いは寧ろ自分のからだの一部のように思っているとも云われる」と。

 寺田寅彦は、地球物理学者であり随筆家、俳人。明治11年(1878)に東京は麹町で生まれ、昭和10年(1935)に転移性骨腫瘍により57歳で病没した。日本の地震研究の第一人者であり、漱石の『吾輩は猫である』の水島寒月や『三四郎』の野々宮宗八のモデルとしても知られている。

 彼は、いわゆる「理系」の人であった。しかし、前述のように、日本人の自然観を「同化」や「一体化」と捉えていた。西洋人による「支配」や「征服」という観点とはまったく逆なのである。だからこそ、科学と一般大衆を結びつける「ブリッジ」のような役割を
果たすことができたのである。

 「二兎追うものは一兎も得ず」といって、あれこれ手を出すことは、日本ではあまりいいことではないという潜在的な想いがあるように感じられる。科学者は科学者であれ、ということだ。とことん左脳で考えよ、と教えられるようである。これは逆に云うと文系の人は理論的に物事を考えなくてもいいという風潮を生み出していないだろうか。「ぼく、文系ですから、そういう理詰めの話は苦手でね…」なんて会話をよく耳にする。

 2年ほど前に日本天文学会が行なった調査では、全国の小学4年生から小学6年生の計348人のうち4割の子どもたちが「地球の周りを太陽が回っている」と思い込んでいるという結果が出ていた。まったくガリレオも頭を抱えるであろう状況である。

 「文系」とか「理系」とかといった、誰がつくったのかよくわからない幻想の障壁を乗り越えて、寺田寅彦的に「遊学」できる人になりたいものである。彼は云った。「天災は忘れたころにやってくる」と。ぼくは云いたい。「天才は忘れたところにやってくる」と。

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2006年10月11日 (水)

Daily K-Scale 0345

よみたいときに よめば よゐ

妄想と申そう。

 ギリシア神話に登場するオルフェウスは、アポロンとカリオペの息子。竪琴の名手で、エウリュディケと結婚をするが、彼女は蛇に噛まれて死んでしまう。オルフェウスは、黄泉の国の支配者ハデスに願い出て、エウリュディケを連れて帰ることを許される。ただ、ハデスは二人が地上へ帰りつくまで、彼女をふりむいてはならない、という条件を与えた。暗い小道を通って、とうとう二人が地上へ着こうかというとき、オルフェウスは彼女がついて来ているかどうかと、つい振り返ってしまった。すると、たちまち彼女は黄泉の国へ吸い込まれるように消えてしまった。

 これは、古事記にあるイザナギが黄泉の国のイザナミを訪ねる場面にとても似ている。また、ギリシア神話には、ヘラクレスがヒドラという毒を吐く頭を9つも持っている怪物ヒドラを退治する話がある。これも、スサノオのヤマタノオロチ退治にそっくりである。

 これらの共通点を発見して、とんでもない説を唱えた識者が過去にいた。名を木村鷹太郎という翻訳家である。明治3(1870)年に愛媛県宇和島に生まれ、昭和6(1931)年に61歳で没した。彼は東京帝国大学史学科に入り、すぐに哲学科に転科。プラトン全集の訳
出中に上記のギリシア神話と古事記との間に類似のモチーフがたくさんあることに気がついた。

 それをきっかけに彼は、日本民族はギリシア・ラテン系で、小アジアに起こり、ギリシア、エジプトに建国したと主張するようになったのである。

 さらに、『魏志倭人伝』に記述されている邪馬台国はエジプトのスエズ辺りであると主張。というのも、邪馬台国への旅の起点とされた帯方郡はケルトのことで、韓国はガリア、狗邪韓国はイタリア南東部としたのである。この解釈でいくと邪馬台国の位置は前述の
通りエジプトとなるというのだ。

 なんとも大胆でムチャクチャな説であるが、彼は与謝野鉄幹と晶子の媒酌をしたという経歴を持つ人物。ただの偏執者というわけでもなかったようだ。

 弾道弾ミサイルの発射実験を人工衛星打ち上げと称して、信じ込んでいる為政者がいるくらいだから、これくらいの説を唱えるのはご愛嬌というものか。できれば、核実験も「口だけ」の妄想ならいいのだけれど。珍説で、片づけてほしいものである。

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Daily K-Scale 0344

よみたいときに よめば よゐ

幻の狂言。

 歌舞伎を観た。演目は『通し狂言・染模様恩愛御書 細川の男敵討(そめもようちゅうぎのごしょ ほそかわのかたきうち)』。これは、燃えさかる宝蔵に飛び込み、お家の重宝である神君家康公から拝領した「御朱印状」を割腹して腹の中に納め、身を黒焦げにしながらも守護したという細川家家臣大川友右衛門の忠節話を基にした作品である。初演は、正徳二年(1712)、京都の布袋屋座でのこと。メインテーマは、男同士の愛いわゆる“衆道”で契りを結んだ大川友右衛門と小姓印南数馬の敵討ち。江戸期はお上を憚って、時代を足利に御朱印状を達磨の絵に替えて上演されていた。それゆえ、「血達磨物」として人気を博すようになる。

 明治に入り、憚りが失せると、時代は江戸に戻され、達磨絵も御朱印状となった。そして、実物の火を使って、それこそ役者が今度は「火達磨」となって演じて、これまた人気を博したという。しかし、いつしか男色の物語が風俗上好ましくないという風潮が次第に強まり、小姓の印南数馬を腰元数江に替えたりしたが、昭和30年代に舞台での本火の使用が禁止されて「衆道」「役者が火達磨」という難題のため、この狂言はお蔵入りとなる。

 そして、ここに古風な筋立ては、見事復活した。今でこそ歌舞伎は伝統芸能のように祭り上げられてしまっているけれど、もともとは最新流行を取り入れた大衆演劇である。笑いあり、涙あり、スペクタルありなのだ。じっくりストーリーを語るような第一幕ととにかく大火事の描写が大スペクタルとなる第ニ幕。静と動の対比がすばらしいニ幕仕立てである。

 数年前に浅草の小屋で大衆演劇を観たことがあるのだが、あの感動に近いものを感じた。ワクワクドキドキするのである。いわゆる古典と言われる作品なら、こんな感じはなかったのかもしれない。幻の作品の復活だったからこその味わいと言っていいのか。とにか
く3時間余りの上演時間があっという間に過ぎ去った。

 幻の狂言は、ぼくにいい夢を見せてくれた。ちょっと歌舞伎がクセになりそうである。

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2006年10月10日 (火)

Daily K-Scale 0343

よみたいときに よめば よゐ

大きなお世話。

 今関わっている学校の課題で、映画『ドラえもん~のび太の創世日記~』をみる機会があった。もう10年以上前の1995年の作品だ。

 よく考えてみると、しっかりドラえもんを見たことがなかった。のび太の誕生日が1964年8月7日ということも、今回はじめて知った。なんだ、タメやったんか…。うれしいような、悲しいような。

 で、3回ほど通して見たのだけれど、今の日本の過保護はドラえもんからはじまったのではないか、と思った。ドラえもんは、あまりにも「母親的過ぎる」のだ。

 とにかく無気力・無責任なのび太に対してドラえもんは、お節介を超えるほどにいろいろ世話を焼く。まさに微に入り細に入りである。そこまで手を出したら、成長するものも伸びなくなるだろう…と思えるくらいである。

 現在の15(いちご)世代は、ちょうどこのドラえもん作品を見て育った世代だろう。うちの子どもたちなんかも、この世代に入るのだろう。この作品を見て思うのが、もしかしたら「ドラえもんは母親の母型」なのではないだろうか、という仮説である。

 ときに厳しくを装い、ときにやさしさを圧しつけて、子どもに迫っていく。結局は、文明の利器としての道具に頼って難題を解決しようとする。物質主義が底辺に流れているのだ。モノがなければ、どうすることもできない、と思わされている。

 仲間意識や友情といったものは描けているのかもしれない。でも、もっと大切なことが失われていないだろうか。自分の手でなんとかするとか、最初から自分の手でつくるとかいった発想が少ないように感じてしまう。大人気ない意見だといえばそれまでだが…。

 だからといって、ドラえもんを撲滅しようなんて全然考えていない。できれば、すべてを肯定するのではなく、反面教師的に見てもいいのではないだろうか、と思うだけなのだ。ヘンなところはヘンだと思えばいい。なにかを得られれば、存在する価値はある。

 大きなお世話のドラえもん。こんな人が近くにいたら、ぼくの人生はどうなるだろう。やっぱりのび太のように、無気力・無責任になるのだろうか。あるいは、丁々発止でさらに充実した人生を送ることができるのだろうか。いや、自分がドラえもんならどんな役割を演じるだろうか。興味は尽きない。「母親の母型としてのドラえもん」。これからも、意識してみたいと思う。いつか、どこかで、この続編を書いてみたいものである。

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Daily K-Scale 0342

よみたいときに よめば よゐ

怒りについて。

 「怒り」という感情はなんなのだろう。映画「スターウォーズ」では、シリーズを通して「怒りは暗黒面のフォースを高める」として排除するものだとジェダイは教えられる。かの徳川家康も「怒りこそ敵と思うがよい」と言ったと伝えられている。

 最近、アドラー心理学関係の本を読んだ。アドラー心理学は、精神科医アルフレッド・アドラー(1870-1937)が開発した心理学理論である。アドラーは、20世紀のはじめごろ、オーストリアのウィーンで、フロイトやユングとの共同研究により、臨床心理学という学問分野を打ち立てた。フロイトやユングが心の深層に関心を持ったのに対して、アドラーは“人と人との関係”に関心を持ち、人間関係はどうしてもつれるか、どうすればいい人間関係がもてるかについて、多くの研究を残した。

 アドラー心理学の特徴は、◎人間を分割できない全体として把握し、理性と感情・意識と無意識などの対立を認めないこと(全体論)。◎行動の原因でなく目的を理解しようとすること(目的論) 。◎客観事実よりも、客観事実に対する個人の主観的認知のシステムを重
視すること(認知論) 。◎精神内界よりも個人とその相手役との対人関係を理解しようとすること(対人関係論) 。早い話が、人間関係に重きをおいた心理学なのだ。

 彼の心理学について書かれた文章によく登場するモチーフがある。それは「怒り」についてである。たとえば「なぜ僕はこんなにも不幸で、怒り続けていたのでしょうか。それは僕が非常に支配的だったからです。支配的ですから、自分の考える正義の範疇(はんちゅう)から誰かがはずれてると、その誰かが「許せなく」なります。その許せない人間を罰するために僕は「怒り」を作り出します」。

 そう、この心理学では、「怒り」は支配の感情を満たされないときに表われてくるというのだ。誰かが自分の思い通りにならないから「怒る」のだ。誰かの行動を自分自身の好みのものに変えようとして、それがうまく行かないと「怒り」の感情が湧き出す。

 アドラー心理学者は言う。「感情は道具なのです。これを勘違いしているといつまでも感情は制御できません。以前は心の底からわいてくる本物の感情があるんじゃないかと考えていました。確かに感情は有効なときもあります。しかし、道具であることには変わり
ないのです」と。だから、「感情そのものをいじくってもどうにもなりません。感情を発生させている自分の考え方に気づくことです。そして、その状態が不快であれば、おおもとである考えのほうを改めれば、感情は自然と消え去ります」とも。

 ぼくも実は「怒り」の感情を持つことが多い。でも、振り返ってみると、それは「責任を他人に圧しつけて、自分を棚に上げて批判しているときに、怒っている」ように思える。そう、責任を転嫁して「怒り」は発生しているのだ。

 自分をかえることで、世界がかわる。そう、アドラーは説く。それがすべて正しいとは思わないが、見習うべき点は多々ある。「怒り」に負けない大きな包容力を持って生きていけたらな、と思う。

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2006年10月 9日 (月)

Daily K-Scale 0341

よみたいときに よめば よゐ

速攻、即興。

 インプロピゼーションにすごく興味がある。即興っていうやつだ。アドリブとも言われる。その場で判断して、行動に移す。即断と実行力が問われる。

 いつもパソコンを前に推敲を繰り返して仕事をしている。これはいわば、スタジオ録音に近い。気になるところは手を加えることができる。何度でも訂正できるから、ほぼ思い通りの完璧なものを仕上げることができる。逆に言うと、完璧にできて当たり前なのだ。

 一方、討論とかになると、まさにインプロビゼーションである。スピーチなら、原稿を考えておいてそれを読み上げることもできるからスタジオ録音に近い。でも、討論となると、どこに向かって話が進んでいくのか、誰がどんな役割を担って発言するのか。こういった諸々のことを空気として読みながら、自分のポジションで発言しなければならない。

 京都にあるインターナショナルアカデミーが開催している「夢の寺子屋塾」のイベント「山下洋輔のジャズ入門」というのに参加してきた。ぼくは、高校生の頃彼の「ピアニストを笑え!」とか「ピアノ弾き飛んだ」なんかのエッセイを読んで大きな影響を受けた。今のぼくがあるのは、彼のエッセイがあったからだと言っても過言ではない。特にオノマトペイアなどは逸品であった。

 彼の話によるとジャズの演奏は「ミュージシャンの会話」だそうだ。話合いを楽器を使ってしているのだという。ときにはささやき、ときには怒鳴りあい、ときに励ましあい…。そんなことをステージで繰り広げているという。それこそがインプロビゼーションなのだ。

 イベントの中で彼は「スワニー河」をモチーフにディキシー、ビバップ、モダンなどジャズの歴史を追いかけながら、それぞれのスタイルで演奏を披露した。そして、サックスの米田氏とピアノで何度も掛けあいをした。もちろん即興でだ。ふたりの緊張感や至福感といったものが一音一音からビシバシビシシと伝わってくる。素晴らしい時間を経験することができた。

 いま、仕事にできるだけインプロビゼーションの要素を加えることができないものか、と画策している。では、具体的にはどんなことができるだろうか、というと、プレゼンテーションをするとか、インタビューをする(できればインタビューを受ける側になりたいものだけれど)、出演者としてライブイベントを実施するとか、いろいろ考えられる。

 できれば厄の明ける来年からは、意識しながらこんな即興仕事を増やしていきたいものだ。できれば、異業種の人たちと「楽しい会話」を満喫できたらなぁ、と思う。厄明けまであと4ヶ月。即ダッシュできるようにウォーミングアップを怠らないようにしようと決意を新たにしている。

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2006年10月 6日 (金)

Daily K-Scale 0340

よみたいときに よめば よゐ

ほんものの仕事。

 忘れていた。いや、忘れようと努力していたかもしれない。早い話が、逃げていたのだろう。諦めていた、とも言える。いずれにしても言い訳だなぁ、と思う。

 昨日、NHKの『プロフェッショナル仕事の流儀』を見た。見た方も多いだろうか。昨日、スポットを当てられていたのは、写真家の上田義彦氏。広告業界の人で、知らない人はほとんどいないだろう。それくらい、超有名な写真家である。

 番組は、彼の仕事への妥協のない態度、自分を信じるスタイル、本質を掴まえようとする真摯な流儀をあからさまにしていく。ときに、それはリスクを顧みず、貫き通される。

 例えば、見た方にはわかる話であるが、クライアントを前にしてまったくOKを出さない。スケジュールを大幅に食ってしまっても「自分が得心するものが撮れる」まで、決して妥協などしないのだ。

 これらの一連の態度は、一見わがままに見えるかもしれない。でも、よくよく考えてみると、自分自身を「瀬戸際」へと追いつめていることになるはずだ。身動き取れないほどのピンチ状態に自分のポジションを持っていっているということになる。

 そのプレッシャーを楽しんでいるかのように、上田氏は写真を撮る。シャッターを切る一瞬に懸ける。その瞬間を逃がさぬように、彼は被写体と向き合い、闘い、溶け合うのだ。両者は、張りつめた空気が媒介として、言葉にならない会話をしているのだろう。

 この「つながり」こそが、仕事ではないのだろうか。いい意味でも悪い意味でも、この「つながり」をまさぐり、手繰り寄せていかなければ、本物の仕事なんて出きっこないのではないだろうか。その関係を見つけた者だけが、「超一流」になれるのだろう。

 ついつい、ぼくは、日ごろの生活に追われ、楽をしようとして、どこかで妥協している。「ま、これくらいでいいか。どうせ、OKも出ないし…」なんてことをブツブツ言いながら、妥協案でラクしているわけだ。そんなことを続けていると、上田氏とのギャップはどんどん拡がっていくだろう。

 何をしたいのか、どこまで行きたいのか。そういう方針をしっかり持って、そこにたどりつくまでは、とことんこだわる。書けば簡単だが、なかなか慣行できないことを、これからは意識的に貫き通そうと思う。誰にも「超一流」になれる可能性はあるのだろうから。

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2006年10月 5日 (木)

Daily K-Scale 0339

よみたいときに よめば よゐ

ハラハラ、ドキドキ。

 上手な外野手はファインプレーが少ない、という説があるらしい。その説によると、名手は、打球の行方を動物的な勘のようなもので察知し、いち早く落下点に最短距離で到達し、捕球するのでファインプレーができないというのだ。いつも安定した姿勢でキャッチできるわけである。

 これをそっくりそのまま、すべて鵜呑みにして信じるわけにはいかないが、かなり説得力のある説ではある。ちなみに同様な説で、上手なゴールキーパーのユニホームは汚れない、というのもある。こちらも球の行方を察知して、いち早く対応するので汚れることがないのだそうだ。ま、100%とはいかないだろうけれど、信用性はかなり高いだろう。

 いわゆる「土俵際の魔術師」と呼ばれる力士がいる。追いつめられてこそ、その実力を発揮する力士のことである。ギリギリのところで踏ん張って、ときには逆転勝利する。なんとも日本人好みのスタイルである。彼は、土俵の際に足の指先を引っ立てて、相手の猛攻に耐えるのだ。耐えて、耐えて、耐えまくる。そして、歯を食いしばって、最後の力を振り絞って、相手をうっちゃる。そして、勝利するのだ。場内は、拍手の渦でうめつくされる。

 どうも、日本人は、こういったドラマっぽいことに弱い。判官びいきなども、この範疇に入るのかもしれない。少し力の弱いものや劣勢のものが、踏ん張って逆転する。いや、逆転しそうになるだけでヒーローに祭り上げられる。ときに、あっぱれな英雄として、ときに悲劇のヒーローとして、人々の心の中に刻み込まれるのだ。

 ゆとりのある勝利は、やはりオモシロクない。どこかに悲壮感や逼迫感があってこそ、ゲームは盛り上がるものだ。

 今、わが阪神が熱い。いや厚いのかもしれない。とにかく9連勝してひとつ休んで、また連勝街道を突き進もうとしている。いや、実際、これから1敗でもしたら終わりなのだ。土俵から足が出てしまう。でも、選手たちを見ていると、残り5試合すべて勝ちそうな勢いである。まさに「土俵際の魔術師」である。今ごろ、あたふたするくらいなら、もっと前にきっちり中日を抑えておけや!というご意見ももっともだ。だが、ここは、日本人。ハラハラドキドキをとことん楽しみましょうや。さてさて、岡田阪神、どこまで、ぼくを楽しませてくれるか。ゆとりより、ドキドキ。着実なプレーよりファインプレーでっせ。

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Daily K-Scale 0338

よみたいときに よめば よゐ

口ずさんでみる。

 「コードに合わせてメロディを口ずさんでごらん。そして、そのメロディを同時に弾いてみてごらん」。今日のギターレッスンは、こんな感じだった。

 師匠は簡単に言ってくれるが、こちとら素人だ。そうそう、できるわけがない。ましてや、声の音程もかなり不確かだ。早い話が音痴に近い。口から出てくる音とギターが発する音の差が、はなはだ激しいのだ。

 テレビなんかを見ていると、よくプロのミュージシャンたちは、「フンガフンガデレッケデンデン、トトンシャ、シュビドゥバ…」なんて発しながら、楽器を弾く。レッスンやリハーサルの場面を見ているとそうなんだ。先日も、ピアニストの小曽根真さんが、そんなことをしていた。

 師匠をはじめ、プロのミュージシャンはそんなことができるのだ。そんなこととは、すなわち、口ずさんだメロディを即座に楽器で音に変えるということだ。逆なら、まだ素人でもできる。弾いている音を追いかけて口ずさむことは、まだ可能なのだ。

 ここまで考えて、はっと気がついた。言葉も同じだな、と。人の言葉を受け売りで語ったり綴ったりしているうちは、楽器の音をなぞって声にしている段階と同じだ。自分の声を音にするか、あるいは言葉にするか。この域に達してこそ、プロなのだ。つまり、ギターレッスンで発している声というかメロディは、言葉に置き換えると「考え」そのものなのだ。

 頭の中にある「考え」を自在に言葉に換えることができて、はじめて「言葉のプロ」になれるのではないだろうか。すでにある言葉を追いかけて「考え」をトレースしているうちは、まだまだ素人なのだろう。でも、そこで、声に出して言葉を自分の頭の中に刷り込んでいくという訓練はたいへんいい効果を生むようだ。

  齋藤孝氏の『声に出して読みたい日本語』でも話題になったが実際に声に出して、それを耳で聞いて、また脳に入れることで、脳が活性化され、記憶力が高まり、読解力も向上し、つまりは頭がよくなると、もっぱらのウワサである。この考え方は、どうやら音楽の世界にも通用するらしい。

 今日はまったく「目からウロコ」のギターレッスンでした。なんとなく予想はしていたが、言葉と音楽がこんなにも似ていたなんて。まったく、うれしい限りだ。それをぼくに教えてくれた長田TACO和承氏に感謝である。そうそう、もう少しきちんと練習しますから、これからは。歌いながら弾くことも忘れませんから。

 ちなみに、長田TACO和承氏のサイトは…
http://osadakazuyoshi.com/

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2006年10月 3日 (火)

Daily K-Scale 0337

よみたいときに よめば よゐ

敬語というもの。

 この間、レンタルビデオショップに出かけて、「男はつらいよ~寅次郎忘れな草~」(第11作)を借りた。そのときのことである。カウンターのアルバイトくん(きっとだと思う)は、おつりを渡してから、朗々と「いつもありがとうございます。またのご来店を心からお待ちしております」と言ってくれた。

 言ってくれたのはいいのだが、口調に全然気持ちが入っていない。いかにもマニュアルの受け売り、棒読みといった感じだった。しかもタイミングが悪い。こちらは、おつりを受け取って、とっとと帰ろうとしている。立ち去るぼくの背中に向けて、彼の声が頼りなく響いて(というか、水量の極端に少ないシャワーのようになんとなく伝わる感じで)くるのだ。まだ、ひとこと「まいど!」と言われた方が心に響いてくるのにな、なんて思いながら店を出た。

 つい先ごろまで、コンビニやファーストフード店、ファミレスでの敬語使いが、なにかと話題になっていた。例えば、料理を持ってくるときに「お待たせしました。こちらビーフカレーのほうになります」。レジで1万円札を出せば、「1万円の方からでよろしかったでしょうか?」とくる。丁寧にしよう、という気持ちは分らないでもないが、まるで伝わってこない。

 こういう状況を見て、「日本語が乱れている」という人がいる。また、一方で「言葉は生き物だから変化して当たり前。今どき、そうろう文で話す人はいないでしょ」という人もいる。とにかく、はっきりしているのは、そんなヘンな日本語が通用している、ということだ。乱れようが、変化するものだろうが、今、ぼくらが使い、耳にしているのが、現在の「日本語」なのである。

 文化審議会国語分科会の敬語小委員会が、一般的に「尊敬・謙譲・丁寧」と3分類されている敬語の分類法を5分類にするという指針案をまとめ、発表した。従来の3分類で「です」「ます」などが代表である丁寧語とされていた「お料理」「お化粧」などの上品さを表すための言葉は「美化語」として分類し区別される。謙譲語は性質により2種類に分割される。ひとつは、動作の対象となる相手へ敬意を表す「伺う」「申し上げる」などの謙譲語Ⅰ。もうひとつが自分の動作などを丁重に表現する「存じる」「申す」などの謙譲語Ⅱである。新たな指針は敬語の性質を厳密に分類することで、使い方の混乱を防ぐのが狙いであるという。

 しかし、どうだろう。敬語を学術的に分類できたのかもしれない。でも、社会に密接した分類でなければ意味をなさないだろう。逆に複雑な分類でさらに混乱を招く恐れもあるかもしれない。教育内容などに定着するかどうかは不透明だ、と識者も懸念しているようだ。

 いずれにしても、結論は時間と社会が出すことになるであろう。ひとつ思うのが、敬語というからには、やはり、言葉の奥底に敬意を置いてほしいものだ。言霊があるように、言葉の底にある尊敬の念は必ず相手に伝わるだろうから。その気持ちさえあればいい。も
しかしたら、言い方なんか技法にしか過ぎないのかもしれない。カタチではなく芯のある言葉を渡したい。伝えたい。そんな気持ちを胸に抱いて、ぼくは人と接していきたいと思う。人と話をする際は、いつでも敬語を話していると考えていたいものだ。

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2006年10月 2日 (月)

Daily K-Scale 0336

よみたいときに よめば よゐ

『ティンガティンガ』の宣伝です。

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『ティンガティンガ』アートは、1960年代末から、タンザニアのダルエスサラーム郊外で誕生した絵画スタイルである。数年前にJTのコーヒー飲料のCMに登場していた極彩色の動物たちの絵と言えば「ああ、あれね」と思い出される人も多いと思う。

 『ティンガティンガ』という名称は、創始者のエドワード・サイディ・ティンガティンガ(1937~1972)に由来する。タンザニア南部、トンドゥール地方で育ったティンガティンガは、大人になると、多くのタンザニア青年と同じく、仕事を探しに都会ダルエスサラームにやってきた。都会での生活は、田舎育ちの彼にとって、とても刺激的だった。

 特に、マコンデのンゴマ(太鼓&踊り)は魅力的で、仕事の暇を見つけては、ミュージシャンたちと一緒に太鼓を叩いたり、踊ったりと大いに楽しんでいたそうだ。絵を描きはじめる前は、太鼓や踊りのうまいミュージシャンとして知られていたという。

 その当時、観光客がアフリカの記念に…と買い求める絵のほとんどが、コンゴの絵画でした。それを見たティンガティンガは、「タンザニアのアーティストが描いた絵」がないことを嘆き、自らそのアーティストになることを決意し、60×60センチのマゾニット(建築用の合板)に、エナメルペンキで、動物や植物を思いつくままに描きはじめた。これが『ティンガティンガ』の誕生。1968年のことだった。

 ティンガティンガは、自分が生まれ育ったタンザニア南部の動物と自然多き故郷の心象風景を好んで描いた。尾長鳥、人間のように器用そうな手を持った猿、色鮮やかなゼブラ、画面いっぱいにうねる蛇、じっとたたずむバッファロー…こういった動物の他に、タンザニアでは精霊が宿ると信じられているバオバブの木、家の周りで戯れる鶏たち、タンザニアの呪術師、蛇にかまれた女性など、日常風景や人物もテーマにした。

 彼の名声は日増しに高まり、さあこれからというときに悲劇が起こった。1972年5月17日の雨の夜だった。友人に車で送ってもらう途中、ダルエスサラームのインディペンデンス・アベニュー(現在のサモラ・アベニュー)で、彼の乗った車が不審車と思われてしまい、検問中の警官が、車を止めるために威嚇として撃った弾が、運悪くティンガティンガに命中。そのまま帰らぬ人となったのだ。35歳の、あまりにも早すぎる死だった。

 ティンガティンガが不慮の死を遂げ後も、ティンガティンガと血縁関係にある弟子たちが中心となって、彼の作風や精神を、そのまま受け継いでいる。動物や自然、人々の日々の暮らしを色彩豊かに描くというシンプルな作風は今も鮮やかに生きているのである。

 こんなプリミティブでソウルフルな絵画は、ちょっとないと思う。そんなアートに囲まれてしあわせな時間が過ごせるのが、楽しみだ。そう、来週10月12日から、わがギャラリーで『ティンガティンガ』の展覧会がはじまる。

 興味のある人は、http://blog.livedoor.jp/hayonwye/にアクセスして、ご来廊ください。お待ちしております。

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2006年10月 1日 (日)

Daily K-Scale 0335

よみたいときに よめば よゐ

じっと手を見るゆとりはない。

 働けど 働けどなお 我暮らし 楽にならざり じっと手を見る
石川啄木は、人生というものを嘆いて、このように詠った。

 今、ワーキングプアという階層が注目されているそうだ。いわゆるフリーターやニートとしばしば同じ括りにされてしまう傾向にあるようなのだけれど、少し違うらしい。その定義は、まだ明確ではないのだけれど、「働く意思を持って現在仕事をしつつも収入は生活を維持していくに精一杯あるいは少し足りない」ということであるという。雇用形態は、不安定なアルバイトやパート、派遣社員であることが多く、その形態から脱却できずにいる層である。将来への展望が持てず、結婚もままならない…。このような、ワーキングプアが急速に増加しているのだそうだ。

 特に派遣社員にアーキングプアの傾向がみられるという説がある。考えてみれば、派遣社員制度というのは、まさに「労働時間の商品化」であると考えられないだろうか。派遣会社が、「労働時間」を「労働時間生産者」から買取り、それを企業に売る。「労働時間」の商社が派遣会社だ、と言ってもいいのではないだろうか。

 そこにマルクス風に言えば「搾取」があるのかもしれない。現在の「女工哀史」なのかもしれない。とにかくIS(需給)曲線はバランスしていないようなのだ。

 企業は、都合のよいタイミングで、都合のよいボリュームの労働力を求めている。変化を繰り返す必要労働量に対して、常に最小公倍数的な労働力を確保し続けるほどの体力や耐力を企業はもはや持ち合わせていないのだ。だからこそ、派遣という体制が求められる。必要なときに、必要な人員数の労働力を確保できるからだ。

 ある意味、この労働力は企業にとって「人」ではないのかもしれない。あくまでも「労働力」という商品であり、形態であるのだ。つまりは、「働くアンドロイド」が理想となる。だからこそ「女工哀史」なのだ。そこに「情」を差し挟めば、生産性を高めることは
できない。「非情」に徹せれば徹するほど、効果は高まるであろう。

 一時期、外国人労働者が言っていた。「日本人は、汚い、きつい、危険なことをしない。でもぼくらはできる。だから、仕事がある」と。今、外国人ではなく、ワーキングプアに、かつて外国人が背負っていたものが背負わされているのかもしれない。

 企業に縛られる正社員の道を捨てて、「自分らしさ」を求めて、派遣の世界に身を投じた人も多いと聞く。そうした人々が、ワーキングプアとなっているケースが多々あるという。

 歌人・石川啄木は、文学を貫徹するために労働した。日々の糧を得るために働いたのだ。しかし、現実は厳しかった。だからこそ、冒頭のような歌がうまれた。彼は、悲壮な思いを胸に明治45年に27年という短い人生を終える。遊郭通いなど自業自得の部分もあるがかなりワーキングプア的な人生だったろうと想像してしまう。

 そして、今日も、日本のあちらこちらで石川啄木のコピーするかのごとくワーキングプアが誕生していることだろう。ただ、時間の流れの速い現代である。「じっと手を見る」ゆとりはない。時代さえも世知辛くなっているのかもしれない。

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Daily K-Scale 0334

よみたいときに よめば よゐ

ビッグウェーブが来るという。

 1930年に、アメリカの経済学者サイモン・クズネッツが、その存在を主張した、約20年周期の経済循環サイクルである「クズネッツの波」。他には約50年周期を唱える「コンドラチェフの波」や約10年周期の「ジュグラーの波」などの説が知られている。

 中でも「グズネッツの波」は、建て替え周期に近いので建設需要、あるいは、子が親になるまでの期間に近いことから人口の変化に起因するとする説がある。

 この周期論に基づけば、世界経済は2000年から上昇基調に転じていることになるそうだ。そして、10年後の2010年には、経済はピークを迎えることになると、さまざまな経済学者たちが予測している。

 確かに、今、日本の経済は拡大局面にあるように見受けられる。街を見ていても、みなさん、感じられないだろうか。林立する巨大クレーン。次々と建設される商業ビル、分譲マンション。百貨店の売上も好調傾向だという。高額商品も好調に売れているそうだ。

 そんなウワサが世間を席巻している今日この頃、国税庁から民間給与実態統計調査の結果が発表された。これは、民間企業に勤める人が2005年の1年間に得た平均給与を調べたものだ。

 この調査によると平均給与は436万8千円。昨年より2万円減り、減少は8年連続のことだという。

 一方、給与所得者数は増加に転じていて、雇用が増えたことが実証されている。しかし、賃金は据え置きというか抑えられたままだということが浮き彫りになっている。

 男女別の平均給与は、男性538万4千円、女性272万8千円。業種別では化学工業が9年連続トップで566万円で、最下位は304万円の農林水産・鉱業で、こちらは11年連続。

 こういう調査結果が出ると、「グズネッツの波」ってほんとうなんだろうか、と思う。誰かを犠牲にして、経済は上昇スパイラルを指しているんじゃないだろうか。たくさんの人を巻き込んで、舞い上げて、波は人間を呑みこんで、どんどん大きくなっていく。そんなイメージがあるのだけれど、いかがだろう。

 波にはノリたいとは思うのだが、ノッた波の下に、たくさんの無念の顔や悔しい声が響いているのを考えると、少し腰が引けてしまう。小心者にとっては、大波の来襲は心臓に悪いようだ。

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