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2007年4月29日 (日)

Daily K-Scale 0545

よみたいときに よめば よゐ

クラス3分類。

 いわゆる学級には3つのタイプがあるといいます。ひとつ目が、「規律が定着しながらクラスの仲がいい『満足型』。ふたつ目が、「一斉指導方式で厳格に規律が行き届く『管理型』。みっつ目が、「教諭が子どもたちへの個別対応を重視し、ざわざわと私語は飛び交う学級内にゆるやかな人間関係が存在する『なれあい型』。

 この3タイプのクラス分類を提唱しているのが、都留文科大教授の河村茂雄氏。教授は、各分類でみられるいじめの形態を調査されているのだそうですが、いじめの発生率に関しては、『満足型』が最も低く、『なれあい型』が最も高かったそうです。『なれあい型』は、クラス意識が低く、子どもたちは不安感を軸にして小グループをつくり、いじめが陰湿化しやすく、学習も十分に進まない傾向があるそうです。

 この3つの分類ですが、まず『満足型』は一種の理想形ですね。だれもがこんなクラスを求めているはずです。『管理型』は、厳しい先生のカミナリが恐ろしくて大人しくしている、みたいなイメージがあります。教室は静かだろうけれど、どこか怯えていて、元気がないような…。そして、『なれあい型』。こちらは、もう学級崩壊しているように思えます。だいたい私語が飛び交うというのはどうなんでしょうか。

 思い起こせば、長男の6年生のときのクラスがちょうど『なれあい型』でした。担任は個別対応に躍起で、少し不良化した生徒を使ってクラスの管理をしようとしていることを自慢気に保護者であるぼくに語っていました。「悪いやつのいうことをマジメな生徒はよくききますから、ぼくはそいつらの力をウマく使ってクラスをまとめるんですよ。あいつらなかなか使えますね」と。

 それを聞いて、ぼくは開いた口がふさがらなかったのですが、そんなクラスなら、陰湿ないじめが起こっても不思議じゃありませんね。決して、親の立場を棚に上げているわけではないのですが、できれば学校の先生には、自分のクラスが3つの分類のどれに属しているかくらいは把握して、対応を考えていただきたいものです。

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2007年4月28日 (土)

Daily K-Scale 0544

よみたいときに よめば よゐ

昭和の尻尾を掴んでおきたい。

 うちの家族4人は、2人が昭和で2人が平成です。つまり昭和と平成の人口構成比率は50:50ということ。ちなみに、別所帯となった長男一家は昭和1人に平成2人という構成です。どんどん昭和が遠くなっていっている…というのは明白なようですね。

 総務省が先日発表した2006年度10月1日現在の年齢別・都道府県別推計人口によると、昭和生まれの人口は9997万5000人だったそうです。これは、1984年に昭和人口が1億人を突破して以来、初めての大台割れなのだとか。一方、平成生まれは2081万7000人で、初めて2000万人を突破しています。

 日本の総人口は1億2777万人ですから、昭和生まれは約78%、平成生まれは約22%ということですね。この比率は、今後どんどん平成生れの方にシフトしていくことは間違いありませんね。ちなみに推計人口というのは5年に1度の国勢調査による人口数を基に、出生数から死亡数を引いた「自然動態」と入国者数から出国者数を引いた「社会動態」を加味して計算したもの。国勢調査を実施した年以外は、この推計人口をがその年の総人口となります。

 都道府県別で人口の推移をみると、青森県が8年連続で人口減少率のトップに。そして、青森、高知と続いています。一方、人口が増加しているのは滋賀や沖縄など10都県。増加率が高かったのは愛知県で、常連トップの東京都を抑えて初の栄冠を手にしました。全体的に都市部の都県で人口が増え、辺境では減少するという傾向が見受けられます。やっぱり、都市的機能を堪能したいのでしょうか。

 年齢区分別の割合は、14歳以下の年少人口は13.6%、15歳から64歳までの生産年齢人口が65.5%、65歳以上の高齢者人口が20.8%に。特に高齢者人口は、全国で3.3%増加という急ピッチになっている模様。埼玉、千葉、神奈川では5%超えも。首都圏や愛知、大阪などの大都市圏では、急速に高齢化が進んでいるようです。

 昭和30年代のブーム、昭和回顧の出版物やイベントの開催…。反面、実像の昭和は高速でぼくらの周りから遠ざかろうとしていますが、その尻尾くらいはしっかり掴まえておきたいものですね。

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2007年4月27日 (金)

Daily K-Scale 0543

よみたいときに よめば よゐ

1日1ドル以下の暮らし。

 世界水準で貧困層とされる人たちは、1日1ドル未満で暮らしているといいます。つまり、彼らは1日120円以下で生活しているのです。物価が違うとはいえ、日本ならごはん一杯も食べられないくらいの少額。こんな話、きっと小学生なら「信じられへんわ!」と目を白黒させてしまうことでしょう。

 世界銀行(なぜこの機関がこんなこと調べているのか不思議ですが…)が調査したところ、2002年に10億6700万人いた貧困層の人口が2004年には約9億8600万人と8100万人減少していたそうなのです。現在の調査方法になった1981年以降、10億人を割ったのは初めて。

 なぜ、こんなにも減少したのか…。それは、中国の経済発展の影響が大きいようです。というのも、中国での貧困層人口は、02年から04年の2年間で約5000万人も減って1億2800万人になったのですから。しかし、それでも1億2800万人。世界の貧困人口の1割強を抱えているのには驚きです。つまり、日本の人口並の貧困層が暮らしているということなのですから。中国の躍進で、東アジア・太平洋地域の減少幅がとても大きくなったようです。

 貧困層が人口全体に占める割合が高いのは、41.1%のサハラ砂漠以南のアフリカ地域がトップで、32.0%の南アジア、9.0%の東アジア・太平洋地域、そして1.5%の中東・北アフリカが続きます。

 かつては、中国がくしゃみをしたらヨーロッパが風邪をひく…なんて俚言もありましたが、今や、何をするにも中国がキーネーションとなるようです。以前に書いたマグロ価格の急騰と品薄化は上海での寿司&海鮮料理ブームが原因ですし、同様の事態がチーズでもありましたね。ただ、今回の貧困層の減少は、喜ばしいプラスの事項ではありますが。ただ、少し気になるのは、これは平均であって、中国でも日本のように格差が広がっているのではないだろうか、ということ。お金持ちも増えているけど、決して這い上がることができない極貧の層が実は増加しているんじゃないか、と心配です。

 ぼくは1日何ドル使っているんだろう。一度計算してみようっと。

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2007年4月26日 (木)

Daily K-Scale 0542

よみたいときに よめば よゐ

自分を知るためのテスト?

 1.次の(1)から(4)までの各問いに答えなさい。
 (1)2/3÷5/7を計算しなさい。
 (2)下のアからオの中から、一番小さい数を1つ選びなさい。
    ア1/3 イ0 ウ-2 エ4 オ-1/2
 (3)2×(-3)(-3)を計算しなさい。
 (4)8-5×(-6)を計算しなさい。

 上記は、「全国学力テスト」の中学3年生数学Aの問題です。答えは、(1)14/15(2)ウ(3)18(4)38です。

 43年ぶりの復活となる「全国学力テスト」ですが、評価や評判はいろいろのようです。「順位だけにこだわった競争が激化する」と懸念する声もあれば、「大いに切磋琢磨できる」と歓迎の意見もあるようです。最後に「学テ」が行われた1964年(ぼくの生まれた年です!)、香川県は3年連続で「学力日本一」に輝きました。その香川県と首位争いを繰り広げたのが愛媛県。「汗の香川、涙の愛媛」と呼ばれ称されたりもしたけれど、半年前から模擬試験を繰り返したり、答案に間違いを見つけると訂正するように教師が生徒にサインを出すなど過剰な競争や不正が横行しました。テストの結果次第で教師の待遇も決まったそうです。成績が悪かったら僻地に飛ばされることも多かったとか。中には「ゆがんだ教育だ」と声を上げる教師もいたそうで、結局は43年前に取り止められたのです。

 文部科学省は、9月をめどに都道府県別の教科ごとの平均点の公表を予定していますが、過度な競争が起こらぬよう市町村や学校ごとの結果は発表しないといっています。が、先日、大阪高裁は「テストの結果公表請求に対する情報開示の正当性」を認める判決を出しています。つまり、誰かが公表を求めた場合、順位などを明らかにしなければならなくなるのです。そうなると、もう堰を切った水のように競争は激化し、教育はゆがんでいくに違いありません。

 自分のポジションを知るために、このようなテストは必要でしょう。でも、他人との比較のためなら、葬り去ってもいいのでは?と思いますが、いかがなものなのでしょうね。

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2007年4月25日 (水)

Daily K-Scale 0541

よみたいときに よめば よゐ

固定観念をぶっ潰せ!

 「ミステリーの魅力の根幹にあるのはサプライズ。読者は固定観念の盲点を突かれると『なるほど』と納得してくれる」

 これは、ある新聞に寄せられていた作家・夏樹静子さんの言葉です。この一文を読んで、ぼくはプチ目ウロコ状態になりました。と、いうのも、先日、少し大きなプレゼンテーションの機会があって、いかにクライアントを納得&説得させるか、をあれこれ考えていたからです。

 ぼくは、懸命に「納得できる事項」を探してまわりました。あれもこれも、どれも…と過剰なほど論理武装して、言葉を重ねてコテコテに仕上げていたと思います。いわゆる満艦飾の状態ですね。でも、その過剰な装飾は、果たして効果的だったのでしょうか?

 ぼくは先の文章をこう書き換えてみました。「サジェスチョンの魅力の根幹にあるのはサプライズ。クライアントは固定観念の盲点を突かれると『なるほど』と納得してくれる」と。

 そう「固定観念」がキーワードだったのです。みんなが、最小公倍数的にどんなイメージを持っているのか。それをまず見極めなければならない。ぼくらが、その「固定観念」の正体をリアルに掴まえなければ、幻を相手に斬り合いをしているようなもの。まったくムダな動きばかりになって、相手を斬るなんてことはできないのです。「物の怪の正体見たり枯れ尾花」ではありませんが、正体を見切って、それを指摘するとサプライズとなるのです。

 と、アタマで考えるのはカンタンなのですが、なかなかそれを実践するのはムズカしい。世の中には、いろんなノイズが存在していて思考活動のジャマをします。いわゆる実像が見えなくなるのです。いや、実像はおろか虚像かもしれないものまで輪郭がぼんやりしてしまう。まったく目の前にはフォーカスされていないボンヤリ世界が広がるわけです。

 そんな時には夏樹静子さんのこの言葉です。「潜在意識のかすかな声に耳を傾ける時間も必要です。本音はどうなのかと自分に問うてみるのは大事なことだと思います」。なるほど、納得です。

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2007年4月24日 (火)

Daily K-Scale 0540

よみたいときに よめば よゐ

仏教復興。

 発祥の地でありながら、ほぼ消滅してしまったと考えられていたインドの仏教が、今、復活の兆しをみせています。世襲身分制度であるカーストの最下層の「不可蝕民」などと呼ばれる人たちが、相次いでヒンズー教から仏教に改宗しているのが主な原因。今や教徒の数は1億人に達しているといわれています。

 この復興運動は、インド憲法を起草した不可蝕民出身の故アンベドカル博士が、1956年10月にインド中部マハラシュトラ州ナグプールで、不可蝕民約50万人を集団改宗させたのがきっかけではじまったといわれています。上位カーストの慈悲に頼っているだけでは人間性の回復は果たせない、との悟りからの出発だったそうです。

 以来50年、博士のまいた種は大きく育ってきました。そして、現在その樹を育てているのが日本人の佐々井秀嶺師。岡山県の出身で、高尾山薬王院(真言宗・東京都八王子市)で得度、タイに仏教留学した後、インドに渡ったそうです。インド国籍を取得し、政府の少数者委員会の仏教徒代表を務めたという経歴の持ち主です。渡印40余年、名実ともにインド仏教を導く最高指導者なのです。

 佐々井師は、昨年10月に仏教復興50周年を記念する「黄金祭」をングプールで開催、総指揮を執りました。その際、「5千人の僧を得度させる」と国中に呼びかけ、実際、宣言を上回る7千人の僧を得度させました。祭期間中には20万人以上の仏教徒が市内を大蛇のごとく行進し、気勢を上げたといいます。そして、期間中に約150万人の人口を持つカースト集団の指導者たちが仏教への改宗を新たに誓ったそうです。

 佐々井師は、今、ブッダが悟りを開いたと伝えられるブッダガヤの大菩提寺の管理権をヒンズー組織から取り戻すための運動を展開しているそうです。

 経済成長著しいインド。しかし、その一方で、カースト制という因襲も色濃く遺されています。どうやら仏教は、インドを内から変革するムーブメントとして期待されているようです。

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2007年4月23日 (月)

Daily K-Scale 0539

よみたいときに よめば よゐ

不可抗力の無効投票。

 選挙運動中に暴漢によって射殺された伊藤一長市長の後継者を決める長崎市長選は、無所属新人で元市統計課長の田上富久氏(50)が、伊藤前市長の娘婿である西日本新聞記者の横尾誠氏(40)ら新人4人を破り、初当選しました。

 最初、4選をめざしていた伊藤市長に新人3名が挑戦する選挙戦でしたが、ご存知のように告示後の17日夜、伊藤市長が暴力団幹部に射殺され、19日に横尾氏、続いて田上氏が補充立候補。5名の候補者による選挙戦がスタートしました。その間、わずか3日という異例の超短期決戦の選挙戦でした。

 伊藤市長の後援会が擁立した横尾氏は「志半ばで倒れた父の後を継ぐ」と伊藤市政の継続を強調、伊藤氏の長女で妻の優子さん(36)らと街頭に立ちました。一方、田上氏は「長崎市の行政をよく知る人が手を挙げるべきだ」として、豊富な行政経験をアピール。昨年開催された「長崎さるく博」の準備などを通じて培った人脈を生かし、経済・市民団体の一部などから支持を得たほか、横尾氏に対する「世襲」批判票を取り込んだといいます。

 従来なら、弔い合戦的な様相を呈して、得てして「世襲」候補が有利になることが多いそうですが、今回は長崎市民の意識の高さが反映されたといえるかもしれません。ちなみに、投票率は過去最低の55.28%でした。

 このように激戦の長崎市長選でしたが、モヤモヤも残っているようです。というのは、不在者投票や期日前投票を事前にしていた人たちの想いです。伊藤市長に投票した人の票は無効になってしまうそうなのです。17日に狙撃され18日未明に死亡した伊藤市長は、死亡時点で候補者でなくなり、公職選挙法の規定で投票が無効となるのです。市選管によると16日から受付けをはじめた事前の投票数は1万2429票に上り、そのうち17日までの分は選挙人名簿登録者数の約2%に当たる計7592票になるといわれています。実際、再投票を求める電話が20日までに数十件あったといいます。選挙権のリサイクル、なんとかならなかったのでしょうか?もったいない限りです。

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2007年4月22日 (日)

Daily K-Scale 0538

よみたいときに よめば よゐ

しらふ宣言。

 いけない、いけない、酒やめなきゃ…と思いつつ幾歳月。未だに禁酒は叶っていません。タバコの方は、一昨年の末に止めてもう2年以上になるのですが、お酒はなかなか止めることができません。

 ひとつには「酒は百薬の長」などという諺もあって、量をわきまえれば「健康によい」というイメージがあるから。ちょっとずつを続けることでからだにいい影響を与えてくれるんじゃないか、と期待しているところがあるのです。でも、問題なのは、一度呑みだすと適量で済まないことが多いということ。ついつい呑みすぎて体調を乱してしまうのです。これでは本末転倒ですね。

 もうひとつは、やっぱり「おいしい」と感じるから止められないのです。でも、これって「アルコール依存症」なんでしょうか。おいしいと思い込んでいるだけで、実は「ないと生きていけない」のかもしれないと思うと、少しコワイです。あくまでも「楽しんでいる」状況を飛び越えないようにしたいものです。

 できれば、かなりの強制力で「止めなさい」と禁じてもらえれば止められそうな気がするのですが。例えば、法律とかですね。それでも、もしかしたら法の目をかいくぐって、こっそり呑んでいるかもしれませんが。あ、やっぱり「依存症」でしょうか…。

 先日、旧ソ連でバルト三国のひとつリトアニアは、2008年を「しらふの年」と宣言する法定案の審議を国会で開始したそうです。ラジオ・ロシアが伝えるところによると、この宣言案は、国民の飲酒量大幅削減をめざし、禁酒運動家の提唱を受けて国家保健委員が提
出したそうです。

 リトアニアでは、国民の85%が飲酒の習慣を持っていて、未成年者の飲酒癖は過去10年間で5倍に増加したといいます。この国民の飲酒癖のために、国家は毎年、10億ドル(約1200億円)以上もの損失を被っているのだそうです。

 ぼくも、リトアニアに倣って、2007年のこれからを「週2日はしらふの日」にしたいと思います。やっぱり「罰則」を設けたほうがいいのでしょうか。規則を破ったら、一カ月の禁酒とか、ね。

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2007年4月21日 (土)

Daily K-Scale 0537

よみたいときに よめば よゐ

環境ネタを三連発。

 まずは、海から。九州では、「ナルトビエイ」という熱帯や亜熱帯の広い海に生息するエイの被害が増えているそうです。このエイに、豊前海のバカガイや有明海のタイラギガイが食べられてしまい、漁獲高が激減。事態は深刻化しいている模様です。

 もともと「ナルトビエイ」は日本の海にやってきていたそうなのですが、温暖化による海水温の上昇により、やってくる個体数が増えているのが、被害増大の原因のひとつなのだそうです。他にもカイ自体の個体数が減ったとか、エイの天敵となるサメが減ったとかの原因もあるのですが、環境の変化も大きいと専門家はみています。

 次は、キノコのお話。英国の研究グループが約50年分のデータから分析した菌類の生活変化のことです。かつて年1回だったキノコの形成が年に2回に増えるなどの変化が起こっているというのです。この結果、落ち葉などを分解する菌類の活動変化は、生態系に大きな影響を与える、と懸念されています。

 食べられるキノコなら、年に何度も採れた方がうれしい、なんて思っていちゃだめなのです。活動サイクルが変化するということは、自然界全体のリズムに狂いが生じるということ。人間だってリズムが狂うと便秘になったりしますね。自然界ならどうなるか…想像するのも恐ろしいと思いませんか。

 そして、三つ目は、京都・鴨川から。桜並木で知られる左京区の「半木(なからぎ)の道」はヤエベニシダレザクラで有名ですが、今年は、しだれた枝の先には花ではなく若葉ばかりが目についているのだそうです。これには、専門家も首をかしげ、「原因はわからないが、花芽形成の時期に当たる夏場の気候不順が影響しているのではないか」との推測も出ています。

 ほぼ、毎日のようにこんな「異変」記事が新聞に掲載されています。かつてなら、「珍しい」という笑顔のニュースだったのですが、今やなにかと「温暖化」などの環境と結びつけられて報道されるので、ついつい眉間にシワが寄ってしまいます。できれば、楽しい気分で接したいものですが、かなわぬ夢なのでしょうかねぇ。

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2007年4月20日 (金)

Daily K-Scale 0536

よみたいときに よめば よゐ

どうしよう!?

 長野県波田町議選でのことです。立候補を届け出た14候補のうち半数に近い6名が同姓の「百瀬(ももせ)さん」でした。6人は、選挙ポスターに姓よりも名を大きく印刷するなど、同姓候補との差別化に相当アタマを悩ませているそうです。町の選挙管理委員会も「フルネームでの投票を呼びかけると、結果的に百瀬姓の候補者を強調してしまうことになる」と対応に苦しんでいるといいます。

 波田町の人口は約1万5千人だそうです。そのうち「百瀬」姓の方は約6%を占めているといいますから、900人ほどですか。これは町で一番多い「姓」なのだそうです。町議の定数は12。2人が落ちる計算ですから、最低でも4人の百瀬町議が誕生するのです。

 そういえば、注目されている長崎市長選も2人の同姓候補者がいましたね。5人の候補者のうち2人が女性ですが、彼女たちの姓がいずれも「前川さん」です。これも間違いやすいような気がします。

 昔ながらの伝統が脈々と流れている地域(早い話が田舎なのですが)では、同じ姓の家がたくさんある場合があります。きっと明治時代になって、名字をつけなければならなくなったときに、ご近所で同じ姓を名のることにしたのかもしれません。父方の故郷も母方の故郷も近所は、みんな同じ姓ばかりでした。だから、姓で呼び合うことはほとんどなく、「上家(かみや)」だの「新家(しんけ)」だの「母屋(おもや)」だのと呼んでいたようです。

 きっと先述の波田町もそんな伝統的な町なのかもしれません。百瀬さんたちも実は親せき縁者で、いつもは「上家)」だとか「新家」とか呼び合いながら、仲良く暮らしているのかもしれません。選挙ですら、こんな状況なのですから、小学校なんかはどんな感じなのでしょう。場合によっては、クラス全員が「百瀬さん」なんてなことになっているとか…。もう邪魔クサイから教室名も「1年百瀬組」にしちゃえ!なんて強行意見が飛び出したりすることもあるのでしょうか?なんとも次から次へと疑問が湧いてきます。さぁ、結果はいかに。もったいない無効票が出ないように、きちんとフルネームでの投票が成されるように祈りたいものです。

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Daily K-Scale 0535

よみたいときに よめば よゐ

もうひとつの欧米か!

 楽器屋さんに行くと、そこそこのギターが7万円ほどで買えます。今の日本なら、7万円といえば、学生でも買えないことはない金額ですね。確かに、アルバイトをしながら買ったギターを担いでいる学生さんを目にすることも多いですね。

 こんな感覚で、アメリカでは銃が買えるそうです。もちろん、身分証明書の提示などが必要になりますが。ただ、アメリカの銃が日本の銃と違うのは「護身用」つまり、標的が人間の銃だということです。日本の銃は狩猟やスポーツ用ですから、人を撃つためのものではないのです。

 この「人を撃つための護身用と呼ばれる銃」の積極的使用による悲劇が奇しくも同じ日に日米で起こりました。ご存知の米バージニア工科大学の銃乱射事件と前長崎市長射殺事件です。アメリカでは罪のない前途のある32の尊い命が奪われました。長崎では、原爆投下という悲劇を乗り越え平和を誓ってきた市長が入札トラブルが原因で凶弾に倒れました。

 どんな悲劇が起ころうと、アメリカのガン・メーカーは、せっせと製品をつくり続けています。全米ライフル協会は「人を撃つのは銃ではなく人である」という詭弁を使って、銃保有を正当化しようと必死です。そのパワーはクリントン大統領の政治的活動を封じこめるほどにパワフル(おそるべしチャールトン・ヘストン!)です。この銃が日本に密輸(きっとアメリカからの直輸入ではなく東南アジアなどを経由してと思われますが)された米国製回転式38口径銃が長崎で使われたのです。

 さまざまな大義名分をこしらえて、人殺しの道具が日夜、製造され続けています。そして、その利益は、経済を動かし、政治をも動かしているのです。それも、表も裏もなのです。

 自分のことは、自分で守れ。それがアメリカの信念だといいます。守るのはいいですが、「攻撃こそ最大の防御」と考える人もいないとは言えません。もし、ギター感覚で銃が手に入るとしたら、あなたはそれを買って、護身に使いますか?どうですか?

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Daily K-Scale 0534

よみたいときに よめば よゐ

ふるさと、好きですか。

 学生のころ、東京に出た友人のところに遊びに行って、はじめて上京しました。新宿で映画を見て、それだけで舞い上がっていたのを憶えています。そんなものだから、関西の言葉で話すのが恥ずかしくて、たった数日の滞在だったのにもかかわらず、必死で標準語のイントネーションで話そうとしたものでした。

 まだ、漫才ブームもやって来ておらず、もちろん明石家さんまがメジャーなわけでもなく、関西なまりは、とても恥ずかしい存在でした。きっと、上京した関西人は「ふるさとのなまり懐かし…」という啄木的世界観の中で生きていたのではないでしょうか。

 漫才ブームがやってきて、さんまや紳助が人気者になって、関西弁も市民権を持つようになり、次第に東京でも受け入れられるようになっていきました。もちろん、今では、東京に行っても普段どおりの関西弁で話しています。逆に、関西弁を話すことが一種のステイタスやメリットになる場合もあるのです。関西弁で話すだけで、「面白い人」という評価が得られるのですから、第一印象OKみたいな状況になるのです。これは、とてもありがたい話です。

 こんな状況ですから、自分たちの方言(これは東京本位の見方であって、関西人は誰も方言とは思っていませんが、わかりやすくするために、あえて方言とします)に誇りを持ち、自信を深めました。

 宮城県栗原市が、先ごろ方言を盛り込んだ市民憲章を作成したそうです。すると、市民からは「意味がわかりにくい」「田舎っぽい」という批判が相次ぎました。市としては、「土地の暮らしと歴史がこもった言葉の方が独自性を強く主張できる」と方言の採用を決めたのだそうですが、市民の意見を募ったところ計187件のうち9割が否定的だったようです。

 「意味がわからない」ということは、方言の使用頻度が少なくなっているのでしょうか。「田舎っぽい」というのは、自分たちの故郷に対する誇りが失われているように感じられます。多くの価値観の基準が東京偏重の傾向に向かっていることは明らかです。が、自虐的に自分たちの拠り所を酷評するのは止めておきたいものです。

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Daily K-Scale 0533

よみたいときに よめば よゐ

ゆっくりお別れしましょう。

 祖母が亡くなったときも、祖父が亡くなったときも、世話をしていた叔父の家で葬式が執り行なわれました。親せきが20名から30名も集まって、通夜から本葬、そしてその後の宴会まで、叔父の家で済ませました。その家には、15帖ほどの座敷がふたつあり、襖を開ければ30帖くらいの広大な空間ができるのです。数家族が泊まれる部屋もありました。いわゆる田舎のつくりなのです。そこで、ぼくたち遺族は、故人とゆっくりお別れをすることができました。

 最近、「家族葬」というスタイルが増えているそうです。具体的には、祭壇を設けたリビングに和室やダイニングキッチン、風呂やトイレまでを完備し、まるでマンションの一室のようにしつらえた専用会場が人気を博しているそうなのです。ここで、故人の家族や友人たちは、一夜を過ごし、心ゆくまで別れを惜しむのだそうです。

 祭壇に故人の好きだった花を飾るのはもちろん、専門の料理スタッフがコースディナーをつくってくれるサービスが用意されていたり、至れり尽くせりの様相なのですが、費用は踏んだり蹴ったりとは言いませんが、かなりアップするそうです。それでも、問い合わせ数は増える傾向にあり、生前予約セミナー(こんなことも葬祭関連会社は実施しているのですね!びっくり!)でも相談数が増えているといいます。どうやら、自宅にいる感覚で故人とお別れしたい人が増えているのでしょう。

 先に書いた叔父の家での葬儀。あの世界は、田舎風の巨大な家がないとできないことです。マンション住まいでは、自宅で葬儀なんて、夢のまた夢でしょう。葬祭会場を借りてする葬儀は、やはりどこかせわしなく、ゆっくりお別れする気分にはなれません。それが自宅のようなしつらえの空間なら、落ち着いた気分になるのは容易に想像することができます。

 なんとなく焼香して、お棺をクルマに積み込んで、火葬場に行って焼いてもらって終わり。そんな通り一遍の儀式ではなく、故人にゆっくり語りかけたい。そんな家族の温かさが伝わってくるような気がしませんか。住宅事情とはいえ、うれしいものですね。

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Daily K-Scale 0532

よみたいときに よめば よゐ

やっぱり大阪が一等賞…

 ホームレスが全国で6700人減ったそうです!確かに天満橋界隈でもブルーシートの数が減ったような気がします。でも、工事のせいかなぁ、と思っていたのですが…。実際に減っているんでしょうか。

 厚生労働省がまとめたところによると、公園や河川敷などで生活するホームレスの数が、4年前に比べて約6700人減り、約1万8500人になったそうなのです。特に、東京、大阪、名古屋などの大都市で減少が目立っていて、同省の地域福祉課は「景気回復や国の支援で、就労、自立が進んだ結果ではないか」としているそうです。

 一方、関係者からは「隠れホームレス」が増えているという指摘もあがっているそうです。例えば、最もホームレスが減った大阪府の場合(減っても全国最多の4911人)、生活保護を受ける世帯がこの10年で5倍に増え、生活保護で部屋を借りるようになったとか、
若年のフリーターが、携帯サイトで日雇い労働を探し、夜通し滞在できる漫画喫茶を渡り歩くなどといった行動により隠れホームレス」となっているのだそうです。また、行政による公園からの追い出しも進み、調査(調査は、なんと目視で行われる!)では把握しにくい路地裏などに拠点を移す人も増えているといいます。

 厚生労働省が脳天気なコメントをしているのに対して、民間の支援団体などは、シビアにこの問題を見ている感じがします。「経済格差は確実に広がっている。実態が多様化しただけ」と分析しているのですから。

 ところで、調査は生活状態などにも及んでいます。たとえば、生活場所は、公園が35.9%で13ポイント減少する一方で河川敷が31.8%で約14ポイントも伸ばしています。仕事をしている人は、70.4%で、その4人に3人が「廃品回収」をしていて、平均月収は約4万円だったそうです。からだの不調を訴える人も半数近くいたといいます。「高齢化・長期化」の傾向も認められているそうです。

 景気回復、バブル再来…などと、世間は浮かれ気味の傾向にあるようですが、確実に格差は広がっています。「隠れホームレス」があるように「隠れ負け組」なんてのも現れるかもしれませんね。

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2007年4月19日 (木)

Daily K-Scale 0531

よみたいときに よめば よゐ

おぉ、クレイジィ。

 近ごろ、なにかとマルく納まろうとしていたような気がします。オトナぶったシタリ顔を決めて、「分ってますよ」みたいな爽やかな態度を取ろうと努力していたように思います。

 はて、ぼくはこんな人間だったのだろうか…と、思わせてくれた記事がありました。タイトルは、『クレージー創造力』。早い話が、「過去の既成概念を否定するところからしか、新しいものは生まれない」ということが書いてあったのです。

 「訳のわかった人は自分を世の中に適合させる。わからず屋は自分に世の中を適合させようとがんばる。だからすべての進歩は、わからず屋のおかげである」と劇作家バーナード・ショーは言ったそうです。確かに、まわりの人から「やめときなさい」とか「失敗しますよ」とか言われたものが成功を収めることも多いですね。

 過去の延長線上をトレスしてもサクセスは掴めないのです。パラダイムの谷をエイヤっと飛び越えた人が、新しいマーケットを自ら創造して成功するケースが多発し始めたということだ、と記事には書かれています。そう、一見「クレイジィ」ともとれる大胆な発想やアイディア、行動こそが、時代をブレイクスルーさせる商品やサービスを突然変異的に生み出すのです。

 こじんまり納まっていては、新しいものをつくりだすことはできないのです。「人を驚かせてやろう」とか「人とは違うことしてやろう」という積極的な姿勢が、求められているのでしょう。

 と、「クレイジィ」を言葉で語るのは簡単なのですが、いざ実践するにはどうしたらいいのか。それが、なかなか分らないから困るのですね。そんな時、ぼくは、視線をズラすようにしています。たとえば、90°角度を変えて、早い話が、真横から見てみる、あるいは真上から、さもなくばローアングルで…。これでもダメなら鏡に映してみる、焼いてみる、切ってみる、噛んでみる、などなど。五感で感じられることは何でも試してみるのです。

 自分でも「こんなことするヤツはおらへんで!」と思えるようなことならOK。自信を持って「わからず屋」してもいいんじゃない?

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Daily K-Scale 0530

よみたいときに よめば よゐ

3億あればプロ。

 政府の見解によると、投資家にはプロとアマチュアがあるらしい。そのプロとアマチュアが同じマーケットで同じ投資をしてお金儲けをするのである。そこで、金融庁は考えました。「専門知識が少ない一般の個人投資家(すなわちアマチュアでしょ)をこれまで以上に手厚く保護しなければ!と。

 ぼくらの世代までは、「投資なんかするとヤケドするよ。あんなのは博打なんやから」と教えられて大人になりました。ま、こんな言い方はかなり偏った発言だとは思いますが、いずれにしても安定して儲かるわけではないのが投資市場のはずです。多少痛い目に会ったりするからこそ、学ぶこともあるのです。それを、「アマチュアを保護しなければ…」というのは、やはり、どこかおかしい。そう思いませんか。

 例えば、プロ野球のチームに、一人高校生が混じっていたとします。その時、「まだ専門的な知識も少なく、スキルもレベルに達していないアマチュアなので手厚く保護して、手を抜いた対戦をするように」なんてお達しが出たらどうでしょう。みんな「?」をアタマの上にいくつも浮かべるはずですね。

 痛い目に会いたくなければ、投資なんかしなければいいのです。みんな「プロ」みたいな顔をして、市場に入って、儲かっているときはプロみたいな顔を続け、損したとたん「アマチュアをいじめるな!」と逆ギレするわけです。そんな人たちの負け犬の遠吠えにいちいちつきあっていては、いけないのではないでしょうか。

 人は覚悟を決めて、ことを起さなければならないときがあります。たとえ、それがゲームであったとしても、はじめてから文句をいうことはできないはずです。ましてや形勢が不利になったから文句をいう、では男が立ちません。どんな事態になっても慌てず、騒がず、の冷静な態度で臨みたいものです。

 ちなみに、金融庁が決めた「プロの投資家」の要件は、資産から負債を差し引いた純資産額が3億円以上で1年以上の取引がある人だといいます。そんな「プロ」ってホントにいるんでしょうか?

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Daily K-Scale 0529

よみたいときに よめば よゐ

代わりに口を出しますか。

 日本といえば「お金でホホをひっぱたく国」みたいな印象があって、外国からは「なにもしない金持ち国」と思われている傾向にあるそうです。

 が、しかし、なのです。経済協力開発機構(OECD)が、先日、発表した2006年度の政府開発援助いわゆるODAの実績(暫定値)によると、日本は前年比11.7%減の116億ドル(約1兆3700億円)となり、英国に抜かれて前年の2位から3位に転落しました。

 ひところは「ジャパンイズNo1」と言われ、常にアメリカと首位を争ってきたのですが、日本が3位になるのは1982年の4位以来、24年ぶりのことです。

 原因は、政府が財政再建策を進めODA予算を縮小し続けているから。国民からすれば「ぼくらの方が辛いくらいやのに、なんで外国にお金をあげなあかんの?」という疑問が沸いてくるODAでありますが、この額によって、国際社会での発言力が決まってくるというのですから、一概に予算縮小を手放しに喜ぶことはできません。

 例えば、昨年11月には、世界保健機構(WHO)の事務局長選挙で、日本が推す候補が中国人候補に敗退しました。また、05年のOECD事務局長選挙でも敗退していて、「負け組」が定位置となりつつあるのです。これは決してODA拠出額の減少と無関係でないといわれているのです。

 新興援助国の代表格である中国は、アフリカ諸国への「ばらまき政策」で、確実に影響力を増加させています。少し前の「日本の国連常任理事国入り」への動きもアフリカ勢の票によって「時期尚早」という結論になりました。また、アフリカの資源が確実に中国に流れはじめているともいいます。それほどODAは影響力を持っているようなのです。

 お金は出す。口は出さない。…これってスポンサーの理想だと言いますが、国際政治の舞台では、そんなお人よしでは埒があきません。出したお金以上に口を出す。それほどの覚悟と姿勢で政治に当たってほしいものです。

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2007年4月17日 (火)

Daily K-Scale 0528

よみたいときに よめば よゐ

握る力は、生きる力。

 プロのギタリストはみんな指立て伏せをしている、というウワサを聞いたことがあります。ほんまかいな?とずっと思っていたので先日、ギターの師匠TACOさんに真偽のほどを尋ねてみたら、そんなこと誰もしてへんで、ということでした。指立て伏せでつけた筋肉は、返って指の動きを悪くするそうなのです。それより、腕を真っ直ぐ伸ばして、指を手のひら全体で弾くようにする訓練の方がよい筋力がつくそうです。ギタリストを目ざされている方、ぜひ、参考にしてみてください。

 話変わって、握力つながりなのですが、「放射線影響研究所」という日米共同の機関が「握力が強い人ほど長寿の傾向がある」という研究論文を米国の医学雑誌に掲載しました。

 佐々木英夫専門委員らの研究グループは、1970年から72年に同研究所で握力測定を受けた4912人を対象に99年末までの期間、死亡時期や死因を追跡調査し、年齢層別に握力の強さに応じて男女を各5グループに分け、握力と死亡の関係を分析しました。

 その結果、握力が強いほど心臓疾患や脳卒中による死亡率が低くなると指摘。ただし、がんについては握力との関係は認められなかったそうです。佐々木委員は、握力はからだ全体の筋力量や強さの指標となるとして、「長生きのためには、運動して筋力を蓄えることも大事」と強調しているそうです。

 手を動かすと脳が活性化されて、アタマがよくなる、という話を聞いたことがあります。特に、右手を動かすと左脳が刺激されて、かなり知能指数がアップするという、まるで「あるある」的な指摘も耳にしたことがありました。かなり、眉唾ものだとは思いますが、とにかく手を動かすことは、脳にとってもいいことであるのは、確かなことのようです。

 腕を伸ばして、指を弾く。このエクササイズをちょっとマジに実行してみたいと思います。これで、ギターのテクニックは向上し、握力がアップすることで長寿も手に入る。まったく一石二鳥です。握力増進で、世界最高齢ギタリストをめざそうかな…(笑)。

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2007年4月15日 (日)

Daily K-Scale 0527

よみたいときに よめば よゐ

ジャンヌ・ダルクの骨。

 今から140年前の1867年、パリのある薬局で大発見がありました。それは、布の断片と猫の骨といっしょの焦げたような黒ずんだ肋骨でした。薬局の屋根裏にひっそりと置かれていたといいます。しかし、それは、ただの骨ではなかったのです。それには、ジャンヌ・ダルクの遺骨である旨が記されていたのです。

 ジャンヌ・ダルクといえば、600年近く前の1431年に、魔女裁判の末、フランス北部のルーアンで火あぶりの刑に処せられた国民的英雄。その遺骨だというのですから、どれほどのニュースだったのか、想像がつくというものです。さらに、ローマカトリック教会はこれを正式にジャンヌ・ダルクの遺物と認め、シノンにある博物館に保管していたといいます。

 その遺骨が、先ごろフランスの研究チームによって詳細に分析され、結果が報告されました。ま、みなさん、だいたいの予想はついているのではないでしょうか。

 分析は、放射性炭素年代測定や電子顕微鏡など最先端の技術と手法を駆使して行われました。それで判明したことは、遺骨は紀元前3~6世紀のものであること。また、彼女が処刑された時期にはその地域になかった松の花粉も検出されたそうです。

 さらに、火葬ではなく、腐敗によって生じるとされるバニラ臭があることやエジプトで死体の防腐剤に広く使われていた松の樹脂が用いられていることなども判明しました。

 結局、この遺骨は、ジャンヌ・ダルク嬢のものではなく、エジプトのミイラのものだったのです。

 発見されたのは、もしかして4月1日だったのでしょうか。いやいや、まさか…ですよね。でも、単なるシャレなのか、イタズラなのか。それとも、あくどい詐欺なのか。どんな経緯で、パリの薬局の発見劇があったのか、詳細がわからないので、なんとも言えませんが。ただ、真実が謎の方がいいこともありますよね。夢があるというか…。だって、科学の力が、ネッシーを絶滅させたのだから…。夢は覚めない方が、甘くておいしいこともあるのですから。

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Daily K-Scale 0526

よみたいときに よめば よゐ

必要なのは感謝の気持ち。

 日本には、昔から捕鯨という文化があって、各地にさまざまな風習が伝えられているのですが、いまや「捕鯨は、あの賢いクジラを虐待する行為だ」ということで、その文化は風前の灯火となっていることは、多くの人が知っていることだと思います。

 「動物虐待」という言葉で、文化が消されようとしている事例が先ごろヨーロッパでも起こりました。ところはスペイン。そう、あの「闘牛」がやり玉にあがっているのです。

 欧州連合(EU)の欧州会議でのこと。「動物虐待の要素が強い」などとして、域内での闘牛の禁止を目ざす動きが活発化している一方、スペインの闘牛関係者が「闘牛は欧州の“文化遺産”」とする反論文を発表し、全面対決になろうとしているというのです。

 現在、欧州連合では、捕鯨や闘鶏など、加盟国の歴史や伝統に根ざした行為でも動物虐待は許されないとの世論が拡大しているといいます。一部の欧州議員が禁止法制の検討を求める声明を出しているのだそうです。

 「スペインの70%の自治体で闘牛が行われ、牛の飼育・放牧は環境保全の重要な一環となっている」との主張をスペインは発し、すべての欧州議員に闘牛禁止の法制化などを断念するようにお願いしているそうです。また、フランス南部やポルトガルにも闘牛の伝統があり、スペインの業界筋は「両国とも支持してくれるはず」と目論んでいるようです。

 日本やノルウェーの捕鯨、東南アジアの闘鶏はもちろん、英国の狐狩りなど、単なる狩猟を超えて、民族のアイデンティティを支えている行為っていろいろあると思います。確かに、大切な命を奪っているかもしれませんが、そこには「命を提供してくれたものへの感謝」が必ず存在しています。一方で、牧場で食肉のために飼育されている動物たちにどれほどの感謝が向けられているでしょうか。

 捕鯨国と闘牛国などが手を取り合って、食肉工場志向国に対して命への感謝を説いていく必要があるのではないでしょうか。放牧されている牛や羊は、モノではなく生命体であるのですから。

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Daily K-Scale 0525

よみたいときに よめば よゐ

誰を守る薬なのか?

 スタートは2001年2月でした。インフルエンザ対策の救世主として「タミフル」がデビューしたのです。インフルエンザが蔓延した時期には、世界中の国々が、タミフル確保に走り、品切れが続出し、たいへんな事態になったこともありました。それほど、信頼性の高いインフルエンザ治療薬だったのです。

 しかし、先日、輸入販売先の中外製薬から厚生労働省に事例報告書が提出されました。それによると約1000人の事例のうち、何らかの異常な行動を起した患者が128名もいて、そのうち8名が死亡していたそうなのです。異常行動を起した患者のうち、約8割を占める100名が未成年で、10歳未満は43人だったといいます。

 異常行動の詳細も報告されています。「ベランダへ走っていき、手すりにつかまって飛ぶ動作をした」「奇声を発し、勢いよく外へ飛び出していった」「幻覚や妄想が現れて包丁を持ち出した」「人形に話しかけていた」「意味なく笑いだした」「ひたすら九九を唱えはじめた」などのケースがあったそうです。

 当初、タミフルと異常行動の間には因果関係はないとつっぱねていた厚生労働省でしたが、インフルエンザではなかった患者にタミフルが投与され異常行動に至っていたことなどが発覚。10代への投与を原則的に中止する一方、10歳未満にはインフルエンザで死亡するリスクが高いので処方を認めるという方針で対応しています。

 タミフルによる異常行動は、ずい分前から話題になっていました。国はやっと重い腰を上げたか、というのが素直な感想です。製造元のアメリカの企業の重役の椅子には、先ごろまでブッシュ政権で指揮を執っていたラムズフェルドが就いているというキナ臭い話も流れています。舞台裏では、まるでハリウッド映画なみのストーリーが展開しているのかもしれません。

 輸入元企業も薬物を審査する機関にさまざまな寄付などをして、事実上の口封じをしていたような節を感じずにはいられません。誰かが自分の権益や利権を守るために、多くの人々を犠牲にしている。残念なことですが、そんな気がしてしかたがありません。

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2007年4月11日 (水)

Daily K-Scale 0524

よみたいときに よめば よゐ

日本のふるさとが消えていく。

 母方の祖父母の家があった集落は、ダム建設によってダム湖に沈みました。先祖代々住んでいた土地とほぼ同価値の土地をあてがわれ、家を建てて新天地で暮らしています。人は移住して暮らしを続けていますが、みんなの暮らしの舞台であった集落は、確実に消滅してしまいました。いまや見る影もないのです。

 今後、全国の2641の過疎集落が消滅する。うち422の集落は、少なくとも10年以内に消える―こんなショッキングな予測を国土交通省が発表しました。

 これは、過疎地域自立促進特別措置法に基づいて、過疎地域に指定されている775市町村(人口約1,128万人)を対象に集落の将来予測を尋ねたものの結果発表です。

 今、過疎の集落は、その生活の舞台としての機能を壊滅的に低下させてしまっています。このままでは、山林の管理や伝統行事などの継続がままならないのです。山林の管理ができなければ、災害の危険が高まり、伝統行事もできないほど近所の結びつきが弱まれば行政コストの増加につながります。そんな集落が全国で5939もあるというのです。しかも、その中でも2917の集落は機能の維持が困難なのだそうです。

 このような危険性を持った集落は、特に四国に多くあり、東北や北海道が続いています。前回、この調査が行われたのは1999年度。それ以降に消滅した集落は191でした。その理由は、居住者の死亡などに伴う自然消滅やダム建設などの公共工事に伴う集団移転によるところが多いのですが、過疎が進めば進むほど、日常生活での集落単位で行ってきた助け合いができなくなり、ますます生活機能を低下させるという悪循環に陥るといいます。

 都市と過疎地。これもひとつの格差。平成の大統合が、この現象に歯止めをかけるのか、加速させてしまうのか。即に答えが出るとは思いません。ただ、都市的視点だけで突っ走ってしまってはいかがなものかと思います。住む人の居なくなった廃墟を見るのは、とても寂しいものです。たとえそれがダムの底であったとしても…。

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Daily K-Scale 0523

よみたいときに よめば よゐ

歌ってみたい。

 五十音のうた

 水馬(あめんぼ)赤いな、ア、イ、ウ、エ、オ。
 浮藻(うきも)に小蝦(こえび)もおよいでる。
 柿の木、栗の木、カ、キ、ク、ケ、コ。
 啄木鳥(きつつき)こつこつ、枯れけやき。
 大角豆(ささげ)に酢をかけ、サ、シ、ス、セ、ソ。
 その魚(うお)浅瀬で刺しました。
 立ちましょ、喇叭(らっぱ)で、タ、チ、ツ、テ、ト。
 トテトテタッタと飛び立った。
 蛞蝓(なめくじ)のろのろ、ナ、ニ、ヌ、ネ、ノ。
 納戸(なんど)にぬめって、なにねばる。
 鳩ぽっぽ、ほろほろ、ハ、ヒ、フ、ヘ、ホ。
 日向(ひなた)のお部屋にゃ笛を吹く。
 蝸牛(まいまい)、螺旋巻(ねじまき)、マ、ミ、ム、メ、モ。
 梅の実落ちても見もしまい。
 焼き栗。ゆで栗。ヤ、イ、ユ、エ、ヨ。
 山田に灯(ひ)のつく宵の家。
 雷鳥は寒かろ、ラ、リ、ル、レ、ロ。
 蓮華(れんげ)が咲いたら、瑠璃(るり)の鳥。
 わい、わい、わっしょい。ワ、ヰ、ウ、ヱ、ヲ。
 植木屋、井戸換え、お祭りだ。

 詩:北原白秋 曲:下総皖一

 曲がわからなくてもいいのです。これを声に出して言ってみる。それが大事なんだと、『声でコミュニケーション―日本語の発声から朗読まで』(川和孝著)に書いてありました。大きく口をあけて、一語一語歌詞を明確に発音するといい、とも記されています。

 “美しい詩を、メロディにのせて声に出すよろこびを体験した人は、ほかの人の心のよろこびや悲しみを理解することもできるはずです”と川和氏は言っています。メロディーを調べて、ぜひ、歌ってみたいと思います。見つけられた方がいらっしゃったら、教えてくださいね。よろしくお願いします。

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Daily K-Scale 0522

よみたいときに よめば よゐ

空気は商品になるのか。

 ものごとは俯瞰から見ないとわからない、とよく聞きますが、実際に人工衛星から見たら、地球の現状がよくわかるようです。

 米航空宇宙局(NASA)の地球観測衛星「アクア」が今年の2月初旬に撮影した北東アジアの写真には、とても不気味なものが写っていたそうです。

 それは、中国から日本に至る北東アジア全域をすっぽり覆うもやです。少し煙がかかったように見える帯のような状態で、北京から上海周辺の平野部から立ち昇っているように見えます。そして、そのもやは、偏西風にのって東シナ海をわたり、韓国や日本にまで達しています。

 もやの正体は、中国で盛んになってきている石炭火力発電や急増する自家用自動車の排気ガスなどの大気汚染物質である可能性があることをNASAが指摘しています。

 先日から、黄砂がなにかと話題に上っていますが、このもやとの関係を想像しながら聞くと、背筋が凍る想いがします。今、降りそそいでいる黄砂にしても、中国の上空を舞っている際に、窒素酸化物や硫黄酸化物などの大気汚染物質を大量に吸収して日本にやって来ていると言われています。光化学スモッグや酸性雨だけでなくて黄砂自体もかなり危険な存在なわけです。

 それに加えて、このもや問題です。黄砂や光化学スモッグなどはまだ目に見えるので、危険を察知することもできるでしょう。しかし、このもやは地上から見えるのかどうか。知らず知らずのうちにぼくたちは、このもやを肺の奥深くまで吸い込んでいるかもしれないのです。そして、このもやの正体はまだ明らかになっていない。こんな恐ろしいことがあるでしょうか。

 昔、水はお金を払って手に入れるものではありませんでした。それが、今や安全のために、健康のためにお金を払って買うものになってしまいました。空気も、そのうち「商品」として売られるようになるのでしょうか。失くしてから気づいていては、遅い。自分の周りの空気のこと、そろそろ真剣に考えなくてはならないようです。

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2007年4月 6日 (金)

Daily K-Scale 0521

よみたいときに よめば よゐ

ネズミ料理。

 先日、スタッフと、「ネズミ料理って聞かんなぁ」と話していたのだけれど、ふと気になってネットで検索してみたら、ありました。ネズミ料理の話題。人類は実に好奇心旺盛です。

 まず、中国でのデータ。今年3月のことですが、広東省仏山市の一部レストランで、野ネズミ料理が出されているのが発覚し、仏山市衛生監督所が各レストランに野ネズミ料理を禁止する通知書を出したといいます。野ネズミを捕獲・調理する過程で、寄生虫やウイルスが人に感染する可能性が高く、また感染症だけではなく、雑食のネズミの体内には高濃度の科学物質が蓄積されているため、中毒症状を引き起こすリスクも高いのが理由だと言われています。写真を見てみると、京都の伏見稲荷大社で売られている「スズメの丸焼き」のような風体です。おいしいか、確かめたいものですね。

 もともと中国は「四本足は机以外、二本足は親以外、すべて食べる」という食文化の国。特に広東料理では、ネズミはおろか、蛇、ハクビシン、猫、犬、サルなどの野生動物が食材になるのですね。

 もうひとつはアンデスからの情報です。これは、「テンジクネズミ」という、いわばモルモットに近いようなネズミの話題。そのサイトによると、テンジクネズミはペルーやボリビアのアンデス民族の伝統的な食材で、肉類をほとんど、あるいは全く口にできないような貧しい人々にとって重要なタンパク源となっているそうです。一般的に炭火で焼き、スパイスでマリネにしたり、煮込み料理にして食べられているそうです。調理方法はウサギと同じ、味もウサギに近いそうです。びっくりするのが入手方法。ペットショップや専門市場で入手することができます、とあります。このサイトによると、テンジクネズミの肉で、貧困にあえぐペルーやボリビアの子どもたちを援助しようとしているようです。

 ネズミを趣味で好んで食べる人、貧困のために止むなく食べている人。人類には2種類の「ネズミを食べる人」がいるようです。飽食の日本人は、これから、どちらに向かうのでしょうかね。できればネズミを食材にしないでいたいものですが。

※詳しくは
中国ネタ
http://www.recordchina.co.jp/group/g6946.html
アンデスネタ
http://www.intervidajapan.org/Discover/Recipes/Cuy.htm

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2007年4月 5日 (木)

Daily K-Scale 0520

よみたいときに よめば よゐ

基本が基本。

 中学時代から弾きはじめたのだから、もうかれこれ30年近いキャリアがあるのだけれど、一向に基礎ができていないので、全然うまくならないのが、ぼくのギターです。

 そこで一念発起して、昨年からギター教室なるものに通い出して基本から学びなおそうとしているのですが、これがなかなかに手ごわいというか、身につかない。まったく身につくのは脂肪ばかりで借金で首がまわらないだけでなく、腰も回らなくなってキレの悪いことったらありゃしない…。と、話の道草はこれくらいにして。

 ギターの先生は、以前に書いたこともありますが、長田TACO和承さん。ラップスティールの天才で、デビッド・リンドレーとかいろんなミュージシャンと共演していて、そうそう最近ではゴンチチのチチ松村さんのソロアルバム『半音生活』(4月4日リリース!ショップに急げ!)でも華麗なるプレイを披露されています。で、やさしくも奥の深いTACOさんの指導を仰ぎながら精進しておるところなのですが、レッスンを受けるたびに、自分の基本のゆるさが次々と露見して、まったく落ち込む限りなのです。

 もしかして、ぼくの人生って基本のできていない「なんちゃって人生なんじゃないだろうか…」ふと、そんな不安がよぎるのです。なんとなく、40年以上も生きてきてしまったけれど、いったい何をしてきたんだろう。

 なんとなく流されて生きていくことは、簡単とはいいませんが、難なくできそうな気がします。実際そうでした。「器用だね」とか言われていい気になっていたんだと思います。でも器用と器用貧乏とは、まったく質が違うのです。その違いはどこにあるか。それは「基本」なのでしょう。「基本」ができた上で、器用を発揮すれば、「本物」です。プロです。が、「基本」もなく器用に振る舞えば、それは「なんちゃって」。不惑の歳を迎え、遅まきながらもぼくは「基本」を身につけて「本物」をめざしたいと思います。TACOさんも言ってました。「遅いなんてことないで。今からやったらええんや」と。勇気をありがとうございます。

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Daily K-Scale 0519

よみたいときに よめば よゐ

ネタストック。

 毎日、よくもそうネタがありますね、と感心されることがありますが。正直言って、すらすらと何本も書ける日があるかと思うと、悶々として一向に筆(いやはやキーボードでしょうか)が進まぬときもままあるのです。

 このギャップはどこからうまれるのだろう?と、あれこれ思索の旅に出てみたら、どうやら、精神的というかメンタル面での影響が多いようなのです。うれしいとか、よかったとか、楽しいとかの感情の方にバランスしているときは、筆が自然に文を綴っていくように感じられます。逆に、悲しいとき、落ち込んでいるとき、悔しいとき、たまらないとき…こんなときは、まともに文章と向かい合うことができないようなのです。

 文章とは、すなわち論理的で理知的なもののはずです。感情だけに委ねて筆を野放図に動かしてしまったら、支離滅裂な文章もどきの文字の列しかつくることができないでしょう。それでは読む人になんのメッセージも伝えることはできないはずです。

 本来ならご法度なのでしょうが、たまに「実験くん」と称して、何も計画せず、構想もせず、手の動きに合わせて文章をつくろうとするときがあります。そう、まさにジャズやロックのミュージシャンたちが楽しむインプロビゼーションのようなことが文章でできないか、というチャレンジなのですが、いまのところ、自己満足の域を超えることができていません。文字では難しいのかしら。声や書なら、そういうインプロビゼーション的なアプローチは昔から行われてきましたものね。吟遊詩人であるとか、ライブ書道とか、いろんなパフォーマンスが試されてきました。

 でも、よく考えると、文章ってそういう切り口でパフォーマンスされることってなかったような。あ、連歌とか短い文章でのアプローチはありましたね。和歌の世界は、そういうコミュニケーション機能が多々あったようですね。

 いずれにしても、即興で一定の水準を披露するには、やはり引き出しの数が問われます。ネタを持っている…大きなポイントです。

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2007年4月 4日 (水)

Daily K-Scale 0518

よみたいときに よめば よゐ

新メタボリッくん。

 街の雰囲気が少し違います。どこが変わったのかなぁ、とちょっとだけ詳しく眺めてみたら、あ、そうか、新入社員くんたちが集団で歩いているんだ、ということに気がつきました。

 同じようなスーツを着こんで、よく似たカバンを持って、ぞろぞろと列を組んで歩いているさまは、まるであひるのヒナたちのようで微笑ましくもあり、ちょっと不気味でもあります。

 そんな彼らを観察していて気づいたのですが、けっこうポッチャリタイプの男子が多いのです。いわゆる「メタボリッくん」です。イメージ的にはカンニングの竹山タイプでしょうか?少し脂肪が気になりますよね、くらいのプチデブちゃんが集団で闊歩しているわけです。一瞬、どこの「部屋」ですか?と聞きたくもなります。

 彼らがこれからの日本を背負って立っているんだ。そう思うと、あのガタイのデカさは頼もしい限りです。でも、生活習慣病を患っていないのか、などと老婆心ながら心配したりもしてしまいます。彼らにぼくらの未来が託されているんだなと思うと、「がんばれ」とエールを送らずにはいられません。

 せっかく就職しても3年で離職する若者が増えているといいます。「やっぱり合わなかった」という理由が多いと聞きます。どこか、離婚の理由に似ているようにも感じますが。今、天満橋界隈を闊歩しているメタボリッくんたちも、3年ほどでまた違う道を探して、社会の大海原に飛び出していくのでしょうか。「相性がよくないんだよねぇ…」なんて言いながら。

 昔のフレッシャーたちは、「スーツに着られている」とか言われて、容姿のぎこちなさがよく指摘されたものでしたが、今どきの新人くんたちは、実にスーツの着こなしも板についていて、そこは高く評価されるべきなのですが、その分、線が細い印象もつきまといがちです。パワーが足りないな、というイメージなのです。

 4月、新入社員だけでなく、世間にはいろんな新人があふれます。かわいい小学生、制服が初々しい中・高生。みんな未来を拓く大切な存在。一直線でなくてもいいから、たくましく伸びてください。

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Daily K-Scale 0517

よみたいときに よめば よゐ

追うか、追われるか。

 最近、余裕がないというか、世間に疎いというか…、知らない間にプロ野球が開幕し、高校野球は終盤に突入という感じで、なんか時流に乗り遅れた気分です。

 特に3月下旬は、フォークジャンボリーへの参加や急ぎの仕事、編集学校の課題などが山積みとなり、まさに「心を亡くす」忙しい状態で、諸事情にただただ「追われていた」のです。

 追いかけられるのと、追いかけるのと、どちらが好きですか、という究極の質問がありますが、ぼくはいったいどちらだろう?と考えてみると、やはり追いかけているほうが性に合っているのかなと思います。

 追いかけることは、自己意識で続けたり止めたりができます。イヤになれば止めればいいし、とことんしつこくするなら続ければいいいのですが、追いかけられることは、追う側の意志に任せて継続されてしまいますから、いつ終わるか自分にはわかりませんので、とても辛い、いつ果てるのかわからないことほどしんどいことはないでしょう。

 たとえば、グラウンド100周を命ぜられたとして、「止め」というまでグランドを周回していろ、という命令と比べてみてください。後者が80周で「止め」となっても、心理的プレシャーは、やはり後者のほうが強いと思いませんか?ぼくなら、はっきり結論を先に出してもらったほうが、ずっとずっと気が楽です。ぼくにてって追いかけられるというのは、後者のような気分にさせる行為なのです。

 自分の意志で決められないことほど、辛いことはありません。たしかに、自分の意志で決めるには、強靭な意識が必要で、なかなかできることではありません。ついつい妥協したりしてヘタれてしまうものです。でも、ヘタれながらも経験を積み、学習を重ねていけば成長できるでしょう。追いかけられながら、いろんなことを学ぶこともできるでしょうが、ぼくは、そのプレッシャーには耐えられないかもしれません。いずれにしても、心臓はバクバクするのですから、気が楽なほうを選ぼうと思います。

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